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電園復耕(田園復興)

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電園復耕(論文)

第一回 耕作放棄地が減らない原因-食糧自給率への過度のこだわり-

第二回  耕作放棄地で食糧エネと生活エネをクリエイトする

第三回  耕作放棄地における営農型太陽光発電

第四回 ソーラーシェーディング その作物とハーブ六次産業

 

電園復耕(小説)

【小説】69歳の学生から20代の学生たちへ

タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

この記事はオルタナSに掲載されている小説です。

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか? この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

1号写真

第一号◆大手町の朝

夕方、樵の敏ちゃんとばったり大手町で会う、He looked alright 遺産相続の税金で四苦八苦していたが、親が残した山を東京の会社が使いたいという話があってその相談で東京に来たのだという。山はフキノトウが終わってこごみが出始めたそうだ。スキーも来週で終わりらしい。

外資系損保会社三年目の吉井啓介は柳の芽吹く夕方の丸の内を江戸橋から東京駅を左手に見て大手門に向かってむかって歩いていた。
ここは丸の内、多くの一流企業がひしめく街だ。
帰国子女の英語力だけで採用されたが、英語は社内の役員と話すだけで、外回りには必要ない。
むしろ漢字が書けなかったり、世間知らずの方が問題になった。
「それで大学出ているの?」など嘲笑されることは日常だった。
それでも啓介はアメリカの本場カレッジベースボールで鍛えた体力と屈託のない笑顔と体育会の礼儀正しさで営業成績は同期の中でトップクラスだった。 しかし傍目には順調に見えたかもしれないサラリーマン生活が、どうも彼には面白くないのだ。
販売する保険はいつも同じ、自分で企画したものではなく、上から与えられたものだ。中央区、千代田区、港区をくまなく回り、新規の客を探し、代理店を回る。
「ありがとうございます」と「すみません」を多発して一日を終わる。
どうでも良いことに礼を言い、悪くなくても謝る。日に日に言葉の種類は少なくなり、心の中の思いと口をつく言葉が全く違う毎日だ。
こんなことを繰り返して一生を終えるのだろうか。
あの平山係長のように変な英語で役員におべっかを使い、俺たちには売り上げの事しか言わないようになるのだろうか。月末を過ぎればまた同じことの繰り返し。年に何年かの売り上げキャンペーンも、もう飽きた。
既に日は傾き、皇居の森が堀に影を落としていた。が、人の流れはその勢いを増していた。
この季節は黒っぽいリクルートスーツの若い男女が多い。一群となってビルに飲み込まれ、吐き出されている。 黒くて細い彼らは、まるで暗い色の魚の群がビルの谷間に群がっているようだった。
魚の顔が見分けれれないように、彼らの顔も皆一緒に見えた。
色がない。
「Colorless Looks」と啓介はつぶやいた。
それは白や灰色や黒と言った無彩色の意味ではなく、かといって透明でもない無の色なのだ。
コンクリートの海底を移動する色のない大群だった。
こんな海底にスキューバダイビングして来たら気持ちが悪いだろうなと啓介は思った。
体を反転して海面に戻ろうとしても戻れなくなったらどうしよう。
途中で息が切れて目が覚める、そんな悪夢を子どもの頃よく見た。
啓介は足早にその一群から身をかわそうとしたが一瞬そこに顔らしき物を見たような気がした。
そこには色があった。
色の抜けたブルーのベースボールキャップの下で笑っている赤銅色に焼けた顔。
そう、それは敏ちゃんの顔だった。敏ちゃんも啓介に気が付いて驚いた顔になったかと思うと顔をくちゃくちゃにして笑っている。
 

第二号出会い

輿水敏夫だ。細身だが、がっしりしている上半身が薄汚れたレンガ色のスウェットの下で息をしている。ジーンズの膝の部分が破れているが、これは作業中に破れたので、ファッションで破いたのではない。

黒いダナーの様なトレッキングシューズはかなりくたびれている。「ケイちゃーん」と彼は驚きとおどけを混ぜて大声で呼びかけてきた。周りの魚たちは無反応に流れてゆく。敏ちゃんが群れの隙間を狙って、バスケットボールのポインドガードのように腰をかがめ、身をくねらせて近づいて来る。

「なんでこんなところに居るの?」敏夫は嬉しそうに尋ねた。啓介も半身になって色のない人の流れを切り進んで「私はサラリーなんでーす」と啓介もおどけて言った。

近づくとゴーグルの跡だけ、猿のように白く焼けのこった顔が滑稽だった。
「スキー場は?」啓介が尋ねた。
「先週で終わりだよ」
「けいちゃん、今シーズンはあまりこんかったね」
「行けなかったな~。カナダ人のインストラクターたちは?」
「先月末で皆、帰国だよ」
「また来年だね」

話す二人をかすめて魚群は流れてゆく。大柄の啓介は、チャコールグレーにブルーのストライプのスーツに黒いニットのタイをウインザーノットに締めているが、襟元は大きく緩み、胸元のボタンも二つ開いている。

スーツは今売り出しの若手デザイナー北山幸彦が彼の為に自ら選んでくれたものだが、ポケットになんでも突っ込む癖と、脱いで畳まない癖とそれに去年より5キロは太った体には、小さい上によれていた。その体がゆっくりと動き出した。

魚たちが身を引いて隙間を作ったように敏夫には見えた。
相談なしで動くのは山に居ても都会にいても同じだなと敏夫は思った。
「どこに行く」敏夫は尋ねた。
「神田の方で一杯やろう」 
「大丈夫かい」敏夫は一応は聞いた。
啓介は笑って、携帯電話を取り出した。
「吉井です。平山係長お願いします」
しばらくして平山のしわがれ声が敏夫にも聞こえた。
「どやねん」
啓介はこの関西弁が苦手だ。なんて答えていいかわからないから少し黙っていた。
「もしもし、売れとるんか?」と平山の声がもう一度した。
啓介は敏夫に不愉快そうに眉を曇らせ「今、山梨バルブの関係者と会っています」と低い声で答えた。
「相手はえらいさんか?」平山が執拗に聞いてきた。
「ひらやまさんです」啓介はしまったと思った。
いつも平山をヒラ同然の係長などと同僚と揶揄していたせいでこんな悪い冗談が口をついてしまった。しかし平山はそれを冗談と取らず、「なんやワシと同じ名前かい」啓介はほっとした。
「偉くはないですが、社長とツーカーですから」
啓介は敏夫に目配せをして「しばらく話し合いますから、遅く帰社します」といった。帰社してもしなくてもどうでもいい。
平山は毎日5時きっかりに退社するからだ。

啓介が言ったことはそれほど嘘ではない。敏夫は山梨バルブの子会社が経営するスキー場の季節従業員だからだ。林業労働者は積雪のある冬場は仕事が無い。だから雪の季節には出稼ぎするか冬場の仕事に付くかするのである。敏夫は毎年スキー場でパトロールをして暮らしている。シルバーバレースキー場と言うのが敏夫の職場で、その親会社は山梨バルブである。

山梨バブルは日本がバブル経済に浮かれていた時、ご多分に漏れず大儲けした。東証に上場したときはみな山梨バブルと言ってその株価に注目したものだ。当時のあり余る資金で山梨バルブは多角化経営に乗り出した。その一つがスキー場経営である。山梨スキーリゾート株式会社の社長は、親会社山梨バルブの次男45歳の小沢豪太である。

そんな関係で啓介は山梨スキーリゾートに保険代理店を引き受けてくれないかと敏夫を介して勧誘していたのである。ビジネスよりもスキーそのものが大好きなぼっちゃん社長は敏夫を年の離れた弟のようににかわいがっているから、啓介が携帯で平山と話したことはまんざら嘘でもないのである。

二人は五時前の永代通りを右に曲がって日比谷通りを歩いた。この偶然の出会いと不意の右折が啓介の人生を大きく変えることになるのだが、こんなふとした右折が若者の人生を大きく変えることなどは決して奇遇ではない。むしろ奇遇の方が普通で、大きな群れが狭き門に殺到して、仲間を蹴落としながら直進することが普通なら、普通とは本当に骨の折れる罪な生き方なのかもしれない。

第三号◆陰鬱な春

右に曲がってしばらくして啓介は敏夫に聞いた。
「曲がってよかったかな?」
「わからん」
敏夫が答えた。
「なぜ曲がった?」
「わからない」
啓介が答えた。
「会社に戻らないためかな~」
3月の中旬に差し掛かっているのにまだ寒い。肌寒い中を群れる黒い魚たちはさっきより少なくなった。
「これからがいい季節だ」
啓介が言った。
「いや、俺は今が一番嫌いだよ」
敏夫が答えた。
「なぜ?」
「紅白の梅が終わって柳の緑と菜の花の黄色、桃がピンクで桜が散るだろう? 山藤の紫が終わるとそれで打ち止めずら。終わりのない春があればずーっとワクワクしていられるんだが、直ぐに嫌な梅雨がやってきて、それから厳しい夏だぜ。秋になればさびしくなって。しめじ採りが終われば真っ白な無だよ。暖炉の脇で遠い春の事を考えられるからワクワクして来る。ワクワクすることをワクワクして待つんだ」
敏夫が啓介の方を見て続けた。

「入社試験にワクワクする奴なんかいないよね。ワクワクするのは入社したら皆であれもやろうこれもやろうという思いだろう?でもその前に群れを絞り込むトサツ場のような儀式があるんならおれはごめんだな。誰かが脱落するんならワクワクせんよ。だから今の季節はいやだってんだ」
啓介はいたずらっぽく議論を吹っ掛けた。
「でもそれを生存競争と取ってみたらどうだい。無数の精子が卵子に群がるように、、、、」
敏夫は「そうだね~」と言った。
「だけど皆が死んで俺だけ生きてても面白かなかろう」
啓介はさらに
「でも入社したら40年間位ぶら下がられるんだから。大学までは親がかりで、就職も親がかりで、それから会社がかりで、退職金と年金を貰って死んでゆくのかい?そいつは素晴らしく楽な人生だな。だから狭き門に殺到するんだね。素晴らしい社会主義だね。中国もロシアもなしえなかった社会主義を日本は一応完成したんだね。40年も楽できるなら仲間を蹴落とすよ。それに精子じゃないから一人きりってわけではないよ。同期はいっぱいいるしね。幸せな仲間たちだ」
だけど、と敏夫は口を挟んだ。
「ほんとに啓ちゃん楽しいかい」
「わからないって言ってるだろ」
啓介は少し強く言った。
「そもそも俺、会社訪問ってなんだか知らなかったからね。そこからもう曲がっちゃってたんだから。ある日突然いつもジーンズにスウェットの同級生がダークスーツを着ているのに会うだろ?怪訝に思った俺が笑っちゃってどうしたんだよって聞くと、真面目な顔で会社訪問だって言うんだ。オレはアメリカのハイスクールの時、ボーイングやNASAの工場なんかを授業の一環で見学したことがあるから、なんで大学生にもなって自主的に工場が見たいのかなと不思議に思っていたよ。今考えるとそれはインタビューだったんだな」
啓介は話を途切って敏夫に念を押した。
「俺たちこっちに曲がってよかったんだよね」

第四号◆若竹

「別にどっちいってもかまわんよ。今日中に小淵沢まで着けばいいだよ。だけんどさっき俺が訪ねた会社の方に戻って来てしまったよ」と敏夫は言った。
「俺なんか毎日東京を行ったり来たりだ。ところでとしちゃん、何しに東京に来たんだよ」
啓介が気が付いたように尋ねた。
「ああそうだね。聞かん奴も変だが、言わん方もおかしいね」
敏夫が笑っていった。
「土地の有効活用だよ。山や田畑を相続することになって、相続税が払えんからに」
「それでなんで東京に来たの?」
啓介が尋ねた。
「田舎の衆は土地がいらんだよ」
敏夫が言った。
「農業や林業はすたれて、人もいなくなっているからね」
「だらなぜ東京に来たんだよ」
啓介がもう一度聞いた。
「山や農地をどうかしようと思う人は東京にしかおらんよ」
「それでこの辺をふらふらしてたんだね」
「ふらふらじゃないよ。俺の土地に興味があるって社長を訪ねて来たんだ。役場の紹介だよ。啓ちゃんに会うなんて思ってもみなかったよ」

その時、啓介の電話が鳴った。それは呼び出し音ではなく電池が切れる警告音だった。そしてなすすべもなく啓介の電話は不通になった。啓介の電話が通じなくなるとほぼ同時に、敏夫の電話が鳴った。敏夫が携帯電話機をポケットから取り出してその画面を見ると、グリーン株式会社と書いてあった。

「さっきの会社だ」
と敏夫が言って電話に出た。
「輿水です。さっきは有難うございました。
すると大きな声が電話機から漏れた。
「先ほどはどうも。まだ近くにいますか?」
「また戻って来ちまって、お宅の前です」
敏夫がはにかんで答えた。
「そうか、それはいい。もし時間が有るなら食事でもしていってください」
携帯電話がスピーカーと化していた。
「でも友達と一緒です」
敏夫が答えると「ではその方も一緒にどうです?」と来た。

啓介はその携帯に向かって叫んだ
「ご一緒させてくださーい!」
「では神田橋のたもとの若竹っていう小料理屋に居てください。直ぐ行きます」
スピーカーが叫んだ。啓介も負けずに「そこ知ってまーす」と叫んだ。敏夫は携帯の声に向かって言った。
「すみません。こんな奴ですが連れて行って良いでしょうか」
携帯からは大きな笑い声で「大歓迎です」と言う声が聞こえた。敏夫はほっとした。啓介は「すぐそこだよ」と言って先に立った。50メートルほど先の高速道路の下の神田橋のたもとにその小料理屋の小さな看板に灯りがともっていた。店には4人が座れるちゃぶ台が2つ並ぶ座敷と後は8人ほどが座れるカウンター席がLの字に設えてあった。

4号地図

「らっしゃい」
甲高い声で痩せて小柄な主が二人を迎えた。
「輿水様ですね。どうぞどうぞ座敷におあがりください。ずーっと奥の御席へどうぞ」
啓介が小声で言った。
「ずうっと奥の方に行ったら川に飛び込んじゃうだろ」
そんな小さな店だった。
啓介の頭から魚の群れは消えていた。魚はみんな下の川に帰って行ったのかもしれない。さっきの憂鬱な気持ちも晴れていた。
「先ほど渡田と言う方から電話をいただいて。4人様の席をお作りしておきました」
と上さんが言った。
「渡田さんがお見えになるまで、おビールでもお持ちしましょうか」
敏夫が啓介に言った。
「渡田って、としちゃんの土地を借りるとか買うとか言っている人?」
「違うよ」
敏夫は首を振った「渡田って誰なのかね?土地に興味がある社長は末広って言うんだけどね。でもなぜ3人じゃなくて4人なんだ?」と啓介は言った。「だれでもいいよ。「『俺は渡田だが、お前たちなど知らないからその席を移れ』」って言われても、それはそれでいいし、『知らない奴のビール代なんか払えん』と言われてもそれはそれでいいじゃないか。ビール代くらいあるよ」
「そうだね」敏夫が言った「飲んじゃっていいのかな」
「飲みたいけどな」啓介が答えた。
「お飲みになったらいかがですか」お上が言った。「どうにかなりますよ」
「ではまずビール」と二人同時に言ったので店主を入れて4人が笑った。

啓介たちが山の天気や山菜の事を語り合っているうちに筍の木の芽あえの突きだしと瓶のビールをお上が持ってきた。お上が一本のビールの栓を跳ね、二人に注いで下がって行くのを待って敏夫が言った「こういう時って先に飲んじゃまずくない?」「先に飲むからうまいんだろ、飯のあとではまずくなる」と啓介が言うと、敏夫は「味の事でではなくってさあ」と言う間もなく啓介がすでに「じゃあお疲れ」とか言って、ちょっとコップを持ち上げてからそれを口元に運ぶと一気に飲み干してしまった。

仕方なく敏夫もビールを三分の一程口に含んだ時、店の引き戸が滑る音がした。主の「らっしゃい」の声に、もう一杯つごうとしていた啓介は手を止めて上目使いにその声の主を見た。すると背中で引き戸の音を聞いた敏夫は思わず含んでいたビールを啓介に向けて噴き出してしまった。啓介の顔中がビールにかかっているのを見て「浴びるほど飲んでますな」と野太い声がした。敏夫が首を回すと、声の持ち主は「そのまま、そのまま」と言った。まるで麻薬取引の現場に警察が強制捜査にやって来たようだなと啓介は思った。

第五号◆末広

敏夫は「そのまま」の声で固まってしまった。
しかしすぐ、「そのままお続け下さい」の意味と分かって力を抜いた。
啓介が立ち上がって挨拶をしようとするとそれを制して「そのままどうぞ」と、その無精髭の太って大きな男が言ったので、少し腰を浮かせて頭を下げただけで啓介は座りなおした。「捜査みたいに言わないで下さいよ」
首を回して敏夫が言った。
「いやいやすみません」
ずかずかと入ってきた50半ばの男は、啓介の横で無遠慮に胡坐をかいた。彼の後ろにいたもう一人の人物が現れた。背の高い50年配の温厚な顔が微笑んでいる。
「桐嶋です」
とグレーのタートルネックにツイードのジャケットの人は丁重に頭を下げた。
「桐嶋さんはジャーナリストです」
末広は言った。「そっちに座ったら」
店の主人が言った。
「予約くれたのは末広さんですか?」
「そうだけど」
末広は怪訝な顔をして答えた。
長い間床屋に行っていないらしく、髪の毛がボサボサで日焼けして、太編みのハンドニット、カウチンセーターを着ているからエスキモーの様に見えた。
「私だ!なんて言って電話を切ってしまうから、てっきり
“ワタシダ”と言う人だと思いましたよ」
「”ワタシダ”さんのビールを飲んでるかと思って、緊張してしまいましたよ」敏夫が笑いながら抗議した。桐嶋も笑いながら敏夫の横に座った。
「俺たちもビール、いいよね?」
末広は桐嶋に念を押すようにして主人にオーダーした。

「末広さんに、取材に来たら飲みながら話そうと言われて強引に連れてこられました」
桐嶋は言った。
「地球温暖化と自然再生エネルギーの問題を書いているのです。末広さんがその事業をされているので、取材しています」
啓介はかっこいいなーと思った。この人は自分の意志でしゃべったり書いたりするんだ。
「自然再生エネルギーってなんですか」
啓介が聞いた。
「太陽光や風力みたいなやつかな」
末広が答えた。
「私、吉井啓介と申します」
啓介は名刺を二枚出して、末広と桐嶋に深々と礼をしながら差し出した。
「保険屋さんか」
末広は名刺を眺めて言った。
「ウチの施設にも保険はかけないといけないな。ところで皆さんなんでも好きな物を頼んでください」
お上が品書きを持ってきて、皆がそれを眺めていると末広が言った。
「面倒だからまかせるよ」
お上がにこにこしながら品書きを手元に戻すと、主人が
「小名浜から上がったサバがありますが、、、」
と言うと末広は
「なんでもいいから早く持ってきて来てくれ」
といってビールを飲み干した。

飲み干すと桐嶋に向かって言った。
「こちらの方、輿水さんが、土地を売るか貸すか検討して下さるんだ」
「これからの日本にソーラーは意義が大きいですよ。私は、原発の危うさをチェルノブイリのときから書いているんですが、日本は地震国だからね。怖いです」
桐嶋が言った。

第六号◆ジャーナリスト桐嶋

「関東大震災のような奴はきますか?」
と尋ねてみて啓介はバカな質問をしたものだと自分で呆れた。
桐嶋はそれでも律儀に頷くと
「政府も行政機能を地方に移動させようとしているのだから、彼らも来ると思っているのでしょうね」と言った。
「我が北杜はめったに揺れんですよ」と敏夫が言うと「土地を譲ってもらったらみんなで移住しようか?」と圭介が言った。
しばしの沈黙がやって来た。啓介は八ヶ岳の主峰赤岳を頭に浮かべた。桐嶋は原発の取材を終えたらそれを本に纏めようとしていたので、八ヶ岳あたりで書きたいなと思った。末広は事業展開を夢見ていた。敏夫はこの連中が移住して来たら楽しいだろうなと想像していた。
「では移住を約束して乾杯」末広がコップを持ち上げると、敏夫と桐嶋が「乾杯」と言った。
啓介も「かんぱ~い」と言ってはみたが、内心ではほんとかよーと思った。
桐嶋はチェルノブイリやスリーマイル島のこと、末広は世界のエネルギー政策の事、敏夫は放棄された農地と森林のことを話し、啓介はそれぞれの話を頷きながら聞いて時は過ぎた。

他に客がいなかったので、店主とお上がカウンター越しに会話に加わった。二人とも福島の小名浜の出身でそれぞれ漁師の息子と娘で同じ高校の同窓生で年は2つ違いだと言った。ビールがかん酒に変り皿から肴が無くなる頃、敏夫が最終電車に乗る、と言って席を立った。
末広は大あぐらをかいたまま、近々お邪魔する
と言って陽気に別れの挨拶をした。桐嶋はテーブルに手をつくと跪いた格好になって慇懃に礼をした。啓介も帰ろうとしたが、末広の東京の連中はまだいいじゃないかと言って引止めたので啓介は今少し居残ることにした。啓介は敏夫を出入り口まで送って行った。店を少し出たところで「愉快だった。有難う」と敏夫が振り返って言った。「偶然って楽しいよな、俺これからも行き当たりばったりで生きてゆくよ」と啓介は言った。「山で暮らそうよ啓ちゃん」敏夫は嬉しそうな笑い顔でそう言うと、踵を返し引き締まった背中を向けながら川の方に歩いて行った。敏夫の影が橋のたもとで闇に溶け込みそうになったとき、敏夫が手を振った。「山に来いよーと」と言う敏夫の声が聞こえて、姿が見えなくなった。啓介は叫んだ。「行くぞー」

啓介が席に戻ると末広が大きな身振りで話していた。「いいかい。耕作放棄された農地は今や岐阜県位の面積になっているんだぞ」
とっくりが5本テーブルの上で倒れていた。「しかしまだまだ農産物は作りすぎなんだ。作っても売れねーから耕作を放棄するんだろ。食糧需給率が低いなんて話は大ウソだ。余っちまってどうしょうもねーから皆タダで配って、最後には捨てるんだ」桐嶋が小まめにメモを取りながら聞いた。
「では社長はどうしようっていうのですか?」
「農地を復興するのよ。復興の”こう”は耕作の
“耕”だ」
「でも農地法で農地は農業以外に使えないのですけど」
「じゃ復耕しねえから、勝手にしろよ」末広が箸をポンと投げて横を向いた。
「私が言ってるのではないでしょう。そういうのは農水省ですよ。さじを投げるというのは知ってますが、箸を投げるってのは知りませんね」
すると「そりゃそうだ」末広が頷いた。
案外素直なんだなと啓介は思った。
末広は気を取り直して続けた。
「だからよ。捨てられている田畑にソーラーパネルを敷設してその下で農業をするのよ」
「日当たりが悪くなりますね」
「日陰が好きな作物を作るってーのはどうだい」
酔ってくるとベランメー言葉になるんだな、この人は江戸っ子なのかなと啓介は思った。
「そんな作物ってあるんですか?」
「大有りよ!おおあり名古屋の金のシャチ」
なんてエスキモーが上機嫌になった。
「椎茸はどうだい。ミョウガだっていいぜ。朝鮮人参なんか日が当たっちゃーならねーんだ」
「それはそうですが、農作物は余ってるから耕作地が放棄されているんでしょう?プロが食えないから放棄した農地を社長が復耕してもうまく行くはずはないですけどね」
取材とはこうして本音を引き出すのだな、営業とか交渉とかの参考になるなと啓介は思った。

第七号◆食糧とエネルギー

「例えば裏の畑でキュウリを作るって思ってみなー」
末広が言うのを聞いて「敏夫だったら、作ってみろし」と言うんだなと啓介は思ったが、余計なことだと思い直した。人が喋っているのにいつも違うことを考える。
「わずかな量じゃ、農協にも持って行けず、近所に配ることになるよな。隣村に嫁いだ娘の所にも持っていくだろ、すると娘は『爺ちゃん一家三人でキュウリ100本なんか食べられんずら』と来るわけだ。仕方なしに爺ちゃんは10本だけ置いて、悲しそうに90本を持って軽トラで帰るんだが、途中で猿の親子に出会うと、キュウリ全部を投げてやるっていう図式よ。これでも自給率は40%を切るって言うのか?」

「じゃなんで日本は食料を輸入しているのですか?」桐嶋が聞いた。
「桐嶋さんは知っているくせに」と啓介は心の中でつぶやいた。
「すごいキャッチャーだよ。ピッチャーの持ち球を知っているくせに『ツーシームは投げられないよね?』とか聞いて、なにを言うかとばかりツーシームをピッチャーが投げると、パ―ンといい音をさせて捕球しておいて、『ナイスボール!シーズンに入ったらそれ決め球にしよう』

エスキモーは目をむいて言った。「あんたがたがワインなんか飲むからじゃねーか。つまみはなんでー、高級チーズか?キャビアか?日本はカロリーではなく輸入金額で計算して『ずいぶん輸入してますね~』とかいう国なんだよ。他の国はカロリーで計算だ。カロリーが一番高い食物はなんだ?米だろ?その米が余ってるの、減反しろのと言ってるやつが、自給率の危機かい?」

「そりゃそうですね」キャッチャ―が驚いたように言った。勢いに乗ったピッチャーは振りかぶって言った。直球をズバリと投げようとしている。「日本は世界で5番目か6番目かの農業大国だ!」
「どっちですか?」桐嶋が聞いた。

「あれ、7番目だったかな?とにかく農産品は売るほどあるんだけどよ。いくら作物があっても、石油がなければ運べねーよな」
啓介はまた他の事を考えてしまった。70歳を越えた吉田相談役と昼食を共にしたとき聞いた話だ。40年以上前日本を襲ったエネルギー危機、オイルショックの話を聞いたときのことだ。

当時は石油がないから物不足になると言って、国民全部がトイレットペーパの買い占めに走ったという話である。「新聞もテレビも石油不足の危機をあおっていたけど、私はそんな報道は嘘だと思っていたよ。当時私は海上保険の契約に注目していたんだ。だから当時一緒になった家内にトイレットペーパーなんか争って買うんじゃないといったのだが、女房は聞き入れなかった。タンカーの積み荷に掛ける保険の依頼は普段通りコンスタントに来ていたから、少なくともアラビアからのタンカーはコンスタントに航行していたとわかっていたんだよ」

第八号◆三協商事

3月11日
今日は大地震があった。家まで歩いて帰った。
東北は津波の大災害で、福島は原発に大問題が起きているらしい。

昨日の酒が少し残っているようだが気分はまあまあだ。
乗車がひと電車遅れたので、地下鉄大手町から走った。既に就職活動の学生たちはそこかしこにうごめいていた。エレベータの中にも黒いスーツの大学生のような男女が載っていた。10階で降りると、先に歩いていた人事部長のJack Rodwellを追い越しながら“Good morning Sir”Rodwellの声が背中の方から聞こえた。“Hi Keisuke How are you?”“Quite well Thank you”。席に着くと隣の長谷川由美子が「お酒臭い。昨日どこで飲んだのよ」
「いいだろどこでも、すぐ近所だよ」

去年の暮、残業を手伝ってもらったからお礼に八重洲で飲んで、酔っ払っちゃって二人でステーションホテルに泊まったのがまずかったと後悔した。あれから俺を支配したがるし、とにかくいちいち文句を言ったり直ぐに怒る。女ってやつは肉体関係が出来る何故と文句ばかり言うようになるのだろうか?会社に入って覚えたのはこの事くらいかな?と啓介は自嘲した。たしかに美人だけど気が強い、こんな関係になる前は明るくて控えめの女と思っていたが、全くやっかいなことになったと思っていると、「ミーティングだぞ」と平井に言われた。アメリカの会社の会議は金曜日が多い。やはりリクルート人事が議題だった。Rodwellがrecruiterと言って啓介を見た。そうだ俺はリクルーターだったのだ。

母校の学生が来週5人訪ねてくるらしい。そいつらの面倒をみるリクルーターだった。しかし訪ねてくる奴らをリクルーティーと言うのかなとか、くだらないことを考えているうちにミーティングは12時に終わった。12時半に馬喰町の三協商事と約束がある。コンビニで中華まんを三つ買って歩きながら食べた。海上保険の保険金請求の件だ。中国からの積み荷(ゴールデンウィーク用のブラウス)がカビだらけだったそうだ。12時半ぴったりに倉庫に入るともうカビの臭いがしてきた。

段ボールに黒いスタンプで(厦門SANKYO)と書いてあった。「もうかなわんよ。縫製は雑だし、中国船の荷扱いは酷いし」出迎えた50代の男が嘆いた。三協商事の社長岩田だ。アパレル会社の経営者らしく茶っぽいツイードのジャケットと同じような色のフラノのズボンを着こなしている。。啓介が段ボール箱の一つを開けると。確かに何枚かのブラウスに青いカビが生えている。今度は奥にある箱を開けてみた。今度は一番上にあるブラウスに緑の斑点が現れている。三つ目のダンボールに手を伸ばそうとすると、なんだか荷が小刻みに揺れ始めた。地震だ。しばらく揺れてから揺れは横に大きくなった。そしてダンボールの一角が崩れてきた。
「ウワー」と言う岩田の声が聞こえた。啓介の上にも大きな段ボール箱がいくつも倒れてきた。階下から女子事務員の悲鳴が聞こえてきた。

第九号◆3.11東日本大震災

啓介が倒れていないダンボールを抑えている間も揺れは続いた。どこか遠いところの大地震だ、と啓介は壁を背にして、腕を突っ張ってダンボールを押しながら思っていると揺れは小振りとなり、やがて収まった。「びっくりしたな~」と岩田が鼻を押さえながら呻いた。「大丈夫ですか社長」啓介が気使うと岩田は「鼻を打ってしもた」と言うので改めて見ると、鷲鼻から鼻血が少し垂れていた。啓介が岩田の方に近づこうとするとまた揺れ出した。「地震保険お宅で入っていたかな」岩田が尋ねた。「覚えていません。これが収まってから聞いてみます」

啓介が気乗りしない口調で答えた。「調べといてや」岩田が言うとまた揺れてきた。会社に電話をしてみた。いつもの受付の木村良子はなかなか出てこずに、由美子が電話にでた。「啓介、大丈夫?」と彼女が聞いた。動揺している。声が上ずっている。「三協さん地震保険に入っていたっけ」と啓介が言うと「ちょっといい加減にしてよ。すぐ帰って、、、、」と言うか言わないかで電話が切れた。啓介は会社にもう一度電話をしてみた。

通じなくなっていた。揺れが収まったところで岩田と階下に降りてみた。事務服を着た若い女性が抱き合って二人で天井を見ていた。他の男性従業員も右往左往だ。「社長、、」「社長さん」彼女たちはベソをかきながらこちらを向いた。岩田がそれに何か言おうとするとまた揺れ出した。

岩田は怪我はないかと言う代わりに「またや!」と言った。携帯電話が鳴った。会社からの電話が通じたのかと思ったら、香港のジェームス王からの電話だった “ Are you alright?”インターネットで知ったそうだ。”I’m OK”。でもほんとにOKなのかな?と自問してみた。

この電話も途中で切れた。今はニュースが世界をかけ巡るのだなと感心した。啓介は階上に戻った。ダンボールを片付けなければ。また揺れた。少し小さいがかなりの奴だ。カタカタ揺れる窓から電線が見えた。縄跳びのコードのように上下している。窓辺に寄って外を見てみた。

外は同じような古いビルとビルだった。ビル達はキャリーパミュパミュの狂信者達が曲に合わせて揺らめくようにそれぞれに身をくねらせていた。遠く芝浦のほうからどす黒い煙が入道雲のように空に向かって立ち上がっていた。「えらいこっちゃ」いつの間にか岩田が他の男子従業員を連れて戻っていた。「震源地は東北だそうや。電車みな止まってしもたらしいで」。遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。

第十号◆歩く

三協商事のビルを出ると啓介は大手町の方に見当を付けて歩いた。電車が止まって、乗客は乗ったままらしい。道行く人がそんなことを言っていた。地下鉄新日本橋の駅から人が少し溢れていた。地震のせいかは分からないが、ワゴン車に乗用車が追突していた。緊急車両のサイレンが不気味に響く。

車は流れていたが、タクシーの空車は見つからない。建物から人々が出て来て、不安げに上をうかがっていた。気のせいか気味の悪いうろこ雲が西の空を南北に走っていた。晴天から雨がぱらついてきて、広島の原爆投下と雨の話を思い出した。薄気味がわるい。江戸通りを歩いて首都高をくぐった。

おおよその見当をつけて西に歩くと広い永代通りに出た。ビルのサイズがだんだん大きくなる。しばらく歩くと人通りが多くなった。人の流れは啓介と逆方向だ。帰宅が始まったらしい。リクルートの若者達もほうほうのていで逃げ帰っているのだろう。暗く顔のない群れが東へ移動して行く。流れに逆らうのは不安なものだ。

10号地図

街路樹は芽を付けておらず、まるで魚の骨が累々と立っているようだ。余震は度々地面を揺らす。大きな枝が裂け落ちている。その枝を避けて歩こうと脇に寄ると、路地にラーメン屋の暖簾が赤く見えた。急に腹ごしらえをしなければと思った。そのままラーメン店の方に向かってガラス戸を開ける。

地震のせいか建て付けがとても悪い。60がらみの店主が一人で立ったままテレビをみている。客は誰もいない。店主はこちらを振り向きもせずにカウンターに置かれた古テレビを見ていた。どこかの海岸に大波が押し寄せている映像が映っていた。大波が何艘かの漁船を浜に打ち上げている。波が堤防を越して、船も堤防を乗り越えた。

後ろ向きで打ち上げられる舟、横倒しになって翻弄される舟。誰かが「危ない」とか「逃げろ逃げろ」と叫んでいる。画面が揺れている。その映像は度々途絶える。そして画面が変わる。アナウンサーが登場して「東北地方の沿岸が未曽有の大津波に洗い流されている」と興奮を押し殺して語っている。東京湾にも来るかもしれないと啓介は思った。それならなおさら食っておかなければ。「ラーメンに餃子二皿」啓介が注文すると店主はテレビを見ながら支度を始めた。啓介も地震で落ちなかったテレビを見ながら、カウンターの丸い椅子の一つに座った。津波が来ても食ってから逃げよう。また揺れる。揺れる度に道に人が出てくる気配がして金切声も聞こえる。

第十一号◆人って何だ?

テレビを食い入るように見つめている啓介の耳に店主の声が聞こえた。ラーメンがあがったかと思って啓介が振り向くと、そこに困惑と怯えの混じった店主の顔があった。「ガスがダメだ」。

仕方なしに啓介は店を出た。食えないと思うと余計腹が空いた。電話は依然としてつながらない。堀端に向かって歩く。この通りにはコンビニも無い。グレーの街の黒い魚群がJRの高架線をくぐると左に向かって足早となった。東京駅に向かっている。啓介も東京駅を見ておこうと思った。

菓子パンぐらい買えるかもしれない。しかし魚群はどんどん密集してくる。駅前のバス停には長い列ができている。キオスクにも人がたかっている。駅から人が溢れている。しかし皆とてもおとなしい。流れている時には魚群だったが、停まっていると屠殺を待つ、運命に従順な牛の列に見える。

「有難うございます。今まで肥育していただいて。では一気にお願いします」。啓介は八重洲のバス停を丸ビルの方に曲がって歩いた。歩きながら考えた。東北の人は津波で死んだ。人間はいつか死ぬのだが、いろいろな死に方がある。津波に追われてもがきながら死ぬ人もあれば、死ぬまで戦って息絶えることもある。あるいは刑場に引き立てられる死刑囚となって無抵抗に死ぬかもしれない。俺はどんな死に方をするのだろうか。例え敵につかまっても、最期まで抵抗したいな。何よりも大切な命と言うが、本当に命より大切な物はないのだろうか?

プライドはどうだ?もちろん命より大切だ。愛は?もちろん命より大切だ。仕事は?そこにプライドや愛があれば大切だろうな?でもプライドや愛が有る仕事なんてあるのだろうか?よくわからなくなった。

仕事と死なんて結びつけたことがなかった。でもきっと東北の人たちは自分を顧みず溺れた人を助けたり、愛する人の元へ駆けつけようとしたのだろう。命より大切な物は有るではないか。啓介、何を考えているんだ。お前はいつものように喰いそびれたラーメンや餃子の事を考えていればいいのだ。そうだラーメン屋はまだ店に居るのだろうか?店は地震保険に入っているのだろうか?

三協商事は保険に入っていただろうか?東北の地震に我が社はどれだけの保険金を払うのだろうか?どうでもいいだろう啓介。お前の懐が痛むわけではない。自分の懐が痛まなければ東北の人はどうでもいいのか?考えたってお前は何もできないだろう啓介。それより東北の地震が東京直下の大鯰を起こしてしまったらどうするのか?東北どころではないだろう。

今、日比谷公園と帝国ホテルの間の大通りに海から大津波が押し寄せてきたら、そうしたら溺れる人を浮き輪代わりに使っても助かるのか?命がそれほど大切ならそうしたらよい。啓介は死に方を考えながら歩いた。自分が無実の罪で捕まって死刑を宣告されたら何とか検事官を殺そうとするだろう。出来なくても怒りをもってそうしなければならないのだ。

刑執行間際にナイフを隠し持って死刑執行官を殺すだろう。それが出来なければ唾くらいは吐き掛けろ。それは男ならやらなければならない事なのだ。では地震はどうだ、津波はどうだ。地震や津波を殺せるか。おっともう会社の前だ!

第十二号◆帰宅難民

エレベーターは止まっていたので暗い非常階段を昇った。人々が下りてくる。登っているのは啓介だけだった。最近の運動不足と体重増加のせいで10階で一休みしなければならなかった。階段に座って休んでいるとまた揺れが来た。座っている啓介を避けながら降りてきた女性たちが「もういやだー」とか言って靴音を荒げて降りてゆく。

啓介は立ち上がってまた昇りだした。膝に手を置いて、自分の太ももを押しながら14階にたどりついて会社に入った。5時を回っていた。人気があまりなかった。平井も由美子も居なかった。自分のデスクに行くと会社の名前が英語で書いてある黄色いヘルメットが置いてあった。ノートパソコンが床に落ちていた。拾ってデスクの奥に置くと小さなメモが有った。三協保険ナシ、先に帰ります。気を付けて。由美子。また少し揺れた。席にもつかず啓介はヘルメットを取ると部屋を出て、また同じ階段を降りた。もう誰も降りていない。

金属的な靴音が響き続いた。一階まで降りたがもう誰もいなかった。ビルを出るとまだ皇居の森に陽が沈もうとしていた。大手門の壁が気のせいか剥げ落ちているように見えた。昨日までは真っ白だったのに黄昏時のせいか今日は所々が茶色に見える。先程見た東京駅八重洲口の様子ではとても電車は動くまいと啓介は思った。しかし人々は一途の望みをもって東京駅や地下鉄大手町に流れて行く。啓介は足を止めてその流れに従おうかと一瞬思ったが、「豪徳寺まで歩いてやるさ」と自分に言い聞かせてまた歩き出した。

しかしまた止まって「会社で寝るか」とも思った。しかし一晩中揺られるのもかなわないので、また堀に向かって進んだ。堀に突き当たると啓介は右に折れて日比谷公園の方に向かおうか、昨夜のように神田の方に行こうかと考えた。世田谷の豪徳寺まで歩くにはどちらが近いだろうか。携帯のGPSを見ようとも思ったがそれも止めた。

つながるわけはない。とにかくとんでもない距離だ。何時に帰れるかも分からない。啓介は堀端に佇んでしまった。「もうすぐ桜が咲く季節だ」堀には水鳥は一羽も見えなかった。きっと地震を予知して北へ帰った行ったのだろう。水面をを見つめているけ啓介の脇にいつの間にか車が止まっていた。白いメルセデスベンツだった。

運転席のスモークガラスがスルスルと開いて左ハンドルの席の男が「乗るかい?」と言った。坊主頭にサングラス手首には金の時計が光っていた。後ろの座席には3人座っているらしかったが、ガラスにスモークがかかっているからよくわからない。

第十三号◆パニック大手町

地獄で仏のような気がした。しかし嫌な臭いも湧き上がる。「しかしここから小田急沿線豪徳寺まで歩くのだったら」と思った。だけど自分だけが甘い汁を吸うのは気が引ける。啓介は周りの達を見渡した。「困ったときはお互い様だ」サングラスが言った。

「どこまでだい」「新宿か渋谷の方に行きたいんですが」ベンツの男が言った。「一万だ」啓介はとっさに答えた。「高いよ」すると運転手は無言で正面を見た。ガラスがするすると上がって車は神田方面に去って行った。堀端をタクシーが客を詰め込んで何台も通り過ぎて行く。空車のタクシーなんてありえない。タクシー乗り場は長い列ができているのだろう。

啓介は地下鉄大手町の駅に戻ってみた。魚群の様に人が地上まで溢れていた。埒が開きそうもない。啓介はもう一度電車の様子をみようと思い、東京駅に向かった。しかし状況はさらにさらに悪化していた。無彩色の群れは漁船から落とされたイワシのように厚く広がり地面が見えない。

群れは八重洲口の外のバス停に広がり、海蛇の様にうねるバスを待つ列と混ざり合っている。皆いつ復旧するか分からないのに律儀に復旧を待っている。真夜中には復旧するのだろうか?多分無理だろう。始発には間に合うのだろうかわからない。だけどバスは生真面目に到着と出発を繰り返しているが終バスまで乗れるかどうかわからない。乗れても小田急線豪徳寺まで行くバスなどありはしない。さっきのベンツに乗っていればよかったと啓介は思った。今思うとそれは確かに一万円の価値が有った。だだ自分は一万円を持っていなかった。

ATMも動いているか分からない。そういえばと啓介は思い出した。ニューヨークには白タクの様な物があった。それが合法か違法か揉めていた。イエローキャブがそれにやられるほどの社会的需要があったことを懐かしく思った。あのベンツに自分はなんで気が引けたのだろうと考えてみた。一万円が高かったからか?運転手の風体か?違法だからか?啓介は考えてみた。違う違う!人と違うことをする事に気が引けたのだ。

でも今は後悔している。すると周りの電気が急に消えた。東京駅、中央郵便局、丸ビルの明かりもだ。恐怖の声が地鳴りのように響いた。電気がまた点いた。歓喜の声が空に上がった。こんなに闇夜が恐ろしく、明かりを有りがたく思ったことはない。啓介は昨日の豪華とは言えない小さな宴を思い出した。末広さんの事務所に行って見るか?

第十四号◆グリーン株式会社

そう言えば末広さんは保険に入りたいとか言っていたっけ。いつもは世間話を手土産に保険を売るのだが、末広さんには保険を手土産に色々なことを聞いてみたい。一休みもしたいし。事務所で寝られたらもっといい。

末広に貰った名刺に電話をかけてみた。繫がらない。では訪ねて行ってみよう。東京駅から永代通りに出て、黄色の信号が点滅するだけの大手町の交差点を右折して日比谷通りを神田橋の方に曲がった。この辺までは社有の黒塗りの乗用車が帰宅する重役たちを乗せて過ぎ去っていたが、どの車も堀端に向かってから日比谷方面と竹橋方面に分かれて走り去っていった。

なぜそれらの高級乗用車がすし詰めでないのか啓介は不思議だった。帰宅難民に乗客が一人の高級車。日本も格差社会になったのだなあと考えながら神田橋を渡った。川は日本橋川と言う神田川の支流だ。この川に沿って保険会社や銀行、証券会社に商品先物取引の会社が並び、繊維の街を横に見て、川は隅田川に注ぎ込む。

14号地図

その川沿いを本流の神田川の方に少し折れてから路地に入って名刺の住所にたどり着いた。大通りから少し外れるとビルも古く小さくなる。ここは神田だ。そのなかでもひときわぼろい雑居ビルの階段を啓介は上がった。エレベータのない4階が末広の会社だった。

「グリーン株式会社」と日の丸に下手な字が書いてあるドアを押した。ソーラー発電の会社だか右翼の事務所だかよくわからない看板だ。やれやれ、今日は良く歩いたと啓介は思った。しかしよく歩いたと言うのは変だと思い直した。ここは自分の家ではない。「ここまでよく歩いた」と言うべきだろう。また少し揺れた。啓介はそっと灰色の金属性のドアを引いた。 

「こんにちは」
「どうぞー」と野太い声がした。
「突然すみません」テレビを見ていた大きな背中の男の首が捻じれて半分こちらを向いた。
「君かい」

末広は啓介の来訪に特別な関心を示さなかった。良くもない悪くもないほんのそこまで出かけていた家族が帰って来た時に見せる顔と声だった。
「突然お邪魔してもうしわけありません」不意の飛び込み営業で繰り返すあの口上を啓介は述べた。

末広はそれに対して「大変だね。ビール飲む?」と応じた。
彼はデスクの上でペンや鉛筆を入れるために置いてあったコップのボールペンや鉛筆をテーブルにぶちまけてからそれに缶ビールの残りを注ぎ込んで啓介に渡して言った。

「原発がやられた」
「えっ、ミサイルにですが?」
「いや津波だ」
テレビには空色に塗られた箱のような建物から薄く煙が出ている画像が映っていた。

14号写真

第十五号◆

啓介はそのコップから生ぬるいビールをごくりと飲み込んだ。発泡が口内に広がり喉に落ちた。喉が痛いが味がしない。「もっと飲みたけりゃ冷蔵庫から出せばいい」

「有難うございます」
啓介はそのまま奥の冷蔵庫に向かって大きくもない冷蔵庫を開いた。酒屋みたいに缶ビールが整然と詰まっていた。
とにかく飲んで落ち着かなくちゃ。
落ち着いて今日起きていることを把握しよう。

啓介が一本長めの奴をとりだすと二本零れ落ちたから
三本持ってテレビに戻ると末広は初めて啓介を見て「どの椅子でもいいから座んなよ」と言った。
グレーのどこにでもある安っぽい事務机と椅子だった。

「いただきます」啓介は一本自分用に取って二本を
末広に渡した。プルトップを引くと泡が溢れ手の甲を濡らした。それをなめながら啓介はこんどは缶に口をつけて飲んだ。一気に飲んだ。胃袋が少しなごやんだ。

「阪神から東北かあ、、、東京とか九州に来るかもしれないな」
末広がつぶやいた。
「東京に大きなのが来るって昨夜っていましたよね」 
「言ったよ。列島がもみくちゃになるのかしれねーな」
啓介は頷きながら古くて小さなテレビの画面を覗いた。

画面が変って今度は何艘もの船が岸に向かって押し寄せられていた。くるくる回る舟、後ろ向きに突進する船、横倒しになってもがくように堤防を越え、上陸し、家にぶつかり壊し、乗り越えてさらに進む。車達は浮きあがり、濁流に飲まれたり翻弄されながら町を漂流している。水の轟音はテレビが唸っているような音だ。

人々は叫び、サイレンが鳴り響いている。画面には気仙沼と書かれている。「気仙沼」すね」と啓介がつぶやくとテレビの画面に地震情報が文字で出た。やや大きめの揺れが東京に来ます。

「来たんですかね?」
「違うだろ。ちょっとした揺れじゃないか?」
「だんだん大きくなったりしませんか?」
揺れが来た。ドンと突き上げたが それきりだった。
画面は違う海岸を映していた。海面が刑務所の壁のようにそびえ立ち、その壁が陸に向かって押し寄せていた。濁流の壁は堤防を飲み込み、前のめりになってまず2台の乗用車を手始めに弄ったと思うや、家々を土台から浚い始めた。

インクブルーの屋根の住宅たちが 押されまろび、互いにぶつかり合って混ざっていった。波頭が大きく口を開くと、飛沫を天に吐き散らし、この世の人口物を全て噛み砕き飲み込んだと思うと、その死骸を吐き出しては反芻した。憎悪と激怒の咆哮は間断なく限りなく見渡す限りを揺るがせていた。

第十六号◆夢

それはなんでもないレフトフライだった。ライン際にバックして逆シングルで易々取れる打球だった。
一塁と二塁のランナーはベンチへ、チームメイトはベンチを出て守備に就こうとする、もう終わっていたあたりだった。しかし8回の守備からいきなり、それも初めて命じられて入ったレフトに啓介には自信がなかった。チーム一のスラッガー、4番打者でレフトフィールダーのネイルがhit by pitch(デッドボール)を頭に受けて退場したために、控えのセカンドの啓介が初めて命じられたレフトだった。ふらふらと上がった当たり損ねのボールは、レフトのライン際に上がっていた。浅く守っていた啓介が5,6歩下がってから少し前に出て捕ればスリーアウト チェンジだった。

しかしボールはサードの頭上を越す頃からライン際に曲がりだした。本職のレフトなら分かっている事だった。しかし4,5歩前ボールを見上げながら後ずさりした啓介には予期しない球道だった。啓介は慌てて体を斜にして打球を追ったが、ボールはどんどん切れて啓介のバックハンドのグラブの先をかすめフェアーグランドに落ち、フェンスに向かって転々とした。 

どこからか悲鳴とも罵声ともつかない叫び声が聞こえてきた。緑の芝生を走る啓介の時間はとてもゆっくり流れていた。ゆるゆると逃げるボールを他人事の様に追う視線の先に白いユニフォームのセンターがボールをすくいあげているのが見える。

「世の終りが来ればいい」と啓介は思った。
その瞬間大波が外野スタンドを走り降りてくるのが見えた。大波は外野スタンドを巨大な滝となって落ちてきた。それは苦も無くフェンスを乗り越えてグランドを水没させて行った。ボールもセンターも水に呑み込まれた。啓介も波に押し流されて翻弄された。「ああよかった」啓介は波にもまれながらそう思った。助かった。これでノーゲームだ。

波が啓介を深海に呑み込み、魚の群れに混ぜると啓介も黒い魚となって移動しだした。自由がきかない。
ただ押し流されている。息苦しい。魚なのになんで息苦しいのか。体が動かない。声を上げようにも泡が出るだけで声が出ない。良子の声がした。

なにか言っている。良く聞こえない。良子が水面を泳いでいるのだ。裸だった。すると自分も裸の男に変った。顔が水面に少し出た。そこで目が覚めた。大きく息が吸えた。喉が渇いていた。ここがどこだか分からない。ソファーに横たわり、体の上にはかなりの枚数の新聞紙が乗っていた。ぼんやりと照らす黄色い非常灯でそこが末広の事務所だと分かった。

第十七号◆3月12日 The day after

原爆ドームは原爆のすさまじさのシンボルではない。
全ての建物が倒壊したその中でも唯一立ち続けた日本復興のシンボルなのだ。

窓から薄明かりが差している。テレビがついたままだ。
一面が火の海だ。画面の上に気仙沼と書いてある。陸地に大きな船が置かれている。由美子からメールが入っていた。電話をした。「なんだよ」キンキンした声が返ってきた。

「なんだよじゃないでしょ。今どこにいるのよ」
「会社の近くだ」
「連絡しなさいよ」
「うん」
「会社に来るのね?」
「ああ」

いびきが聞こえてきた。末広がかいているのだ。
部屋の隅に寝袋が転がっていた。末広の大きな体で寝袋はゾウアザラシのシルエットの様に見えた。
電話がキンキン喋り続けている。
「今何時だよ」
「6時よ」
「一眠りしてから会社に行くよ」
「そう」と言って電話が切れた。

夢の中では二頭のイルカのように裸でじゃれ合おうとしていた女の電話との会話ってこんなもんかな?
と啓介は思った。どうでもいい仲なのかな?それとも
夫婦みたいに近しいのだろうか? 
携帯電話を見つめながら考えていると母の恵子からのメールが目に留まった。ニュージャージーからだった。ケイちゃん大丈夫?と数回入っていた。啓介が返信しようとしたとき、電話が鳴った。母からだ。

「大丈夫ケイちゃん」
「何ともないよ」
「ロバートも心配して早めに帰って来てくれているのよ」
「東京は大丈夫だよ」
「そう、何ともないのね?」
電話の向こうで英語が聞こえた。
「He said no problem」
「OK Good」
電話が低く深い声に変った。
「Kei are you alright?」
「Yes,Rob…Ah dad」
啓介は2年前ニュージャージーで実の父啓一を亡くしている。突然死だった。朝ドミトリーに電話が来た。
母からだ。
「パパが息しない」
「誰が?」
「パパよ」泣きながら叫んでいる。

そんなことを思い出して義理に父と話している。
ロバートと言うと母はきつい声でダッドと言いなさいと言った。ロバートは首を振りながら「It’s OK 」と言ったことを啓介は思い出した。
電話の向こうで「Good to know you are alright」

それで電話は母に代わった。「よかったわ~」母はまだ何か喋りたそうだったが、啓介は「心配ないよ」とそっけなくいって電話を切った。

母だろうとガールフレンドだろうと女との長話が啓介は嫌だった。女はよくしゃべる。相手が喋り終えるのを待たずに喋り出す。口が大きく耳が小さい。ゾウはいいな、耳が大きいから優しいんだ。薄明かりのなかでゾウアザラシが動く音がした。大きな放屁の音もした。
「何時だ?」低くかすれた声がした。
「6時くらいじゃないですか」
「腹空いたな」
「そうですね」
「ビールしかないぜ」
「朝から飲めません」
「そうだな」

第十八号◆The night after

これでもうひと眠りのチャンスがなくなったが、寝ても寝なくてもかまわない。
昨夜からつけっ放しのテレビに福島の原子力発電所が映っている。ニュースキャスターが深刻な顔をして放射能の様子を語っていた。ゆっくり寝てはいられない状況だと分かった。
「スリーマイルアイランド以上。チェルノブイリ以下かな」
末広が言った。
「東京にも放射能は来るんですか」
「わかんねー。風に聞いてみな」
「北風よ吹くな」啓介は思ったが、同時に心の中で
「何を言うんだ啓介。東北の人に地震と津波と放射能のトリプルプレーをするのか?」とも思った。
「社長。東北は地獄ですね」
「若竹のおやじ気の毒だな」
「気の毒です」
「君の会社も大きな保険金を支払うんじゃないか?」
「そうかもしれません」と啓介は言っては見たものの地震保険は全額支払いではないし、地震天災は免責、放射能の被害にも保険金は支払われないことを知っていた。
「コンビニでなんか買ってきます」
「うん。これ持って行け」末広は長方形の黒くて古い財布を手渡そうとした。
「大丈夫です」啓介は笑って断った。
階段を下りながら考えた。これからどうなるのだろう、日本は。会社や野球や女たち。リクルートスーツの魚たち、そして自分は。面接に来るとか言っていたアメリカの若者はどこにいるんだろう。階段を下り切って外に出ると電線が揺れていた。

18号写真

地震のせいか風のせいか?いっそめちゃくちゃな状態でノーゲームになってしまえばやり直せるかもしれない。コンビニが見えた。握り飯にペットボトルの茶がいいかサンドウィッチにコーヒーか?二つ買って末広にまず選ばせて自分は残りを食えばいい。コンビニに入った。店はなんだか殺風景だった。握り飯もサンドウィッチもなかった。棚にはポテトチップの袋が10ほど横に寝ていた。物流も途絶えだしたのだ。
「食料が入る予定ありますか」啓介が聞いた。
「わかりません」年配の店員が答えた。
おそらく店主だろう。どんな時でも日本人は律儀だ。
「ポテトチップ5袋ください」
略奪もない。俺は良い国に帰ってきた。ただし災害がなければだ。ニューヨークの9.11と昨日の3.11どちらが悲惨だろうか?比べようがないくらい3.11だ。
だけどもこれは天災だ。憎しみも報復もない。末広の会社があるビルに戻ってきた。ポテトチップスをガサゴソ言わせて、
階段を上がり、ドアを開けた。
「これしかありません」
「しょうがない。それを食って、水でも飲むか」
「そうしますか」
啓介は便所の前の流しの蛇口を捻った。
クワーというような音がして水は出なかった。
「出ません」
「しょうがねえ。ポテトチップスとビールにするか。全くー後楽園で野球見物じゃないってーんだ」
啓介が冷蔵庫からビールを二本取り出して二人は飲んだ。
朝のビールが喉にしみわたった。ポテトチップスの袋を乱暴に引きちぎって中身を口に放り込んだ。辛かった。袋を見ると激辛とか書いてあった。ビールを飲みほした。

第十九号◆都会の荒涼-放射能は東京にくるのか?-

あんまり辛かったからビールのロング缶を飲み干した。
次の缶で口をブクブクしながら辛さを胃袋に流した。
辛さが和らぎ、軽い酔いが回ってきた。末広も窓の外を見ながら飲んでいた。春の日が差し込んで雀の声が聞こえてくる。
昨夜からつけっ放しのテレビは原発事故と津波が交互に映し出していた。風向きによって放射能が東京に飛んでくると言っている。
「江戸は花盛りじゃ」末広がつぶやいた。
放射能って実際は何なんだろうと啓介は思った。
少し眠くなった。
満開の桜が頭に浮かんだ。ポトマック河の桜、千鳥淵の桜、目黒川の桜、その花びらが花吹雪となって、舞いだして水面に落ちるとその川が盛り上がり、ピンク色の濁流となって船や家を押し流しだした。大勢の人が浮き沈んで阿鼻叫喚の声が聞こえる。やがて水はくすんだ銀色となり、人々はその重い液体に溶けてゆく。ヒロシマ、フクシマという声が聞こえてきた。うとうとしてしまった。
「花見どころじゃねーぜ」末広が声を上げた。
啓介は涎をぬぐった。

「会社に行ってみます」
「そうか」
「お世話になりました」
「あゝ」

19号写真

春風をうけて並木通りを歩いた。いつもより二時間早いだけで大手町はかなり違って見える。カラスがビニール袋に入ったごみを突いていた。電線に止まっていた他の二羽が向かい風をうまく受けながら並んで降下すると、歩道の上20cmくらいを浮きながら足を前方に出しながら少し浮上してビニール袋に止まろうとすると、前にいたカラスが錐もみをしながら一メートルほど飛び上がって滞空した。

仕事の取り合い?金の奪い合い?しかし争いながら決して殺し合いまではいかない。残飯なんかこいつらにやってしまったらいいのにと啓介は思った。なんで犬や猫やカラスが余ったものを食ってはいけないのだ。狩のおこぼれをもらうために犬は人間と共存するようになった。猫はネズミを捕るために、そしてカラスはごみを片付けるために人里に住んでいる。

ハイエナがサバンナの掃除人なようにカラスは街の掃除人じゃないのか?カラスが残飯を散らかすのではなく、カラスが食べきれない量の残飯が街にはあるのだ。もっとカラスが来ればごみはなくなる。ではわざわざ用意したビニール袋はどうだ?カラスはビニールを食べられない。ばかばかしい。ゴミを捨てるためにゴミを作っているのだ。賞味期限など決めずにさっき訪ねたコンビニの棚のように、乏しい量の食品を包装などせずに並べるだけでいいのだ。

第二十号◆土曜出勤

時間を潰してみたものの会社にはいつもより2時間も早い7時に来てしまった。エレベーターは何もなかったように啓介を乗せてオフィスまで運んだ。スタッフは誰もいないかと思ったら、思いのほか人はいた。若いロバートがいた。
「Hi」啓介が呼びかけた。「What a quake!」
「ホウシャノウがくるんじゃない?」ロバートが言った。
「知らないよ」
「L/A のマームすぐかえれっていった」
「Will you go back?」
「そうです」と言ってロバートは財務部の方に早足で向かった。
荷物を取りに来たんだと啓介は思った。
平井が出社してきた。きっと家には帰っていなかったのだ。
「どやねん」
「どやねんって?」啓介はなんて答えて良いかわからず聞き返した。
「アメリカさんたちは帰国するらしいわ」平井が眉間に皺を寄せて小声でいった。「放射能が来たらワシも関西にかえるで。上のITの会社の中国人エンジニア達は殆ど出国するんやて」
受付にはだれも座っていない。ただ生けてある桜のつぼみが開花をまちながら盛り上がるように生けてあるだけだった。

20号写真

携帯電話が鳴った。女の声で「ハーワーヤー」と聞こえた。「アム OK」啓介は答えてそれがトーリーだと分かった。トーリーとはビクトリアの事だ。安否を尋ねる電話だった。まだ仕事前だったので色々長話をしたが何かの問題で電話が切れてしまった。まだ回線は完全ではない。
余震がきてビルが少し揺れている。
アメリカ人たちが出社してきて荷物を整理している。
役員もアメリカに帰るらしい。
啓介は手持ち無沙汰に席に着いた。同期の山田がやって来た。トレードマークのような眼鏡を今朝は付けていない。
「メガネどうしたの?」
「昨日の騒ぎで無くなっちゃったんだ」
「見える?」
「よく見えない」
眼鏡がない山田の丸顔の目はとても小さい。その小さい目を瞬かせて昨夜の話をした。
背の低い小太りが少し小さくやつれて見えた。
なんでも東京駅から歩き出して夜遅く品川を過ぎて、そのまま横浜の金沢区の自宅まで歩こうと思ったそうだ。しかしコンビニや開いているラーメン屋など何件かに立ち寄りながら歩くと、横浜の弘明寺あたりで復旧した一番電車が通過するのが見えたから、上大岡で上り電車で舞い戻ったそうだ。いつもながら何とも要領の悪い奴だ。そんな着の身着のままの二人の傍にほのかにいい匂いがした。由美子の香りだった。

第二十一号◆負け戦

この女はいつでも身ぎれいだ。啓介は自分のビール臭い体を嗅いでみた。
「朝から飲む暇があったらメールの返事くらい出しなさいよ」
「えっ、メールなんかきてないよ」

啓介が携帯電話を確かめだすと由美子はIPADをHと書いた金属製のブランドが付いているハンドバッグから取り出してタッチし始めた。
イーメールを出したと言う証拠を示そうとしているのかと思ったら、そうではなかった。
画面にはニュースが流れていた。
管首相がヘリコプターで福島と東北のイーストコーストを視察しているらしい。画面からゴーッという不気味な音が聞こえてくる。山田が寄ってきて覗き込んだ。啓介も覗き込んだ。
昨日よりさらにリアルな東北の海岸と福島の原発の画像がそこにあった。

21号写真

「すげえな」「すごいです」「すごいわね」
平井も出社してきた。「どないなってんのや」と
頓狂な声を上げている。啓介の様に近状で世を
過ごしたものは早々と出社してきている。

定時近くなっても出社しないものは自宅に問題が起きているのだろう。そして階上の中国人エンジニアたちのように、そしてアメリカ人シニアスタッフたちのようにもう出社しないであろう者たち。社内の空気がとても不安定だ。山田が平井に尋ねた。
「会社は莫大な保険金を払うのでしょうね」
平井が鼻で笑った「何言うてるんや。天災は免責やないか。当社は痛くも痒くもあらへん」
「でも地震保険の分は?」啓介が聞いた。

「それは払うことになるんやろうな。落ち着いたら地震保険の加入者がごっつ増えるで」
それより仙台支店の人たちはどうだろうか?電話が鳴った。由美子が出た。事故報告だ。また鳴った。山田が出た。続いてまた鳴った。
するとまるで蝉しぐれのように電話が鳴りだした。ほとんどが事故報告だ。事故報告をできる人はまだ幸せな人だ。亡くなった人、大けがの
人、通信手段のない人は事故の報告すらできないのだ。そんな大事に本国へ逃げ帰ろうとしている人がいるとは何ていうことなのだと啓介は憤慨した。電話機を両手に持ちながら「少々お待ちください」とか「すみません」とか言いながらフロアを見渡すと、必死で応対するいつもより少ないスタッフのフロアはまるで味方を失った負け戦の戦場の様だった。由美子が戦っている。啓介より手際が良い。平井も左手で受話器を持ち、目配せをしながら、顔の前で右手を左右に振っている。平井は相手を選んで戦っているのだ。でもわが軍の大将はどこにいるのだろうか?

第二十二号◆日本沈没

月曜日になっても時折ビルはゆらゆら揺れた。

啓介が昼食をとるためビルを出ようとエレベーターに乗ると吉田相談役が乗っていた。

「ご無沙汰しています」

「土曜日の出社大変だったね」

「かなりの人が出てましたよ」

「俺はパスした。昼飯かい?隣のホテルで一緒にどお?」

「有難うございます。お供します」啓介はペコリと頭を下げた。

吉田相談役は70近くの洒落者で、元プロ野球の選手だ。昔、アメリカ系の保険会社は、プロスポーツ崩れを入れてその人の顔を利用したものだった。

一通り利用すると用無とばかり捨て去るのが常だが、この吉田一朗だけは人づきあいがうまいのか役員から相談役になっていまだに禄を食んでいる。

二人は皇居の掘りが迫っているパレスホテルの一階のコーヒーショップでアメリカンクラブサンドとコーヒーを頼んだ。吉田は春らしいグレーのスーツに少し濃いピンストライプのスーツを着こなし、極端に広いワイドスプレッドの真っ白いシャツがまぶしい。光るように新しいブルーのネクタイにそれより濃いブルーのポケットチーフを胸ポケットからのぞかせている。

「ケイちゃん」息子と孫の間くらい年の離れている啓介に吉田はいつも野球仲間として気軽に声をかける。啓介も吉田のプロ時代の活躍を聞きかじっているので彼を特別な思いで尊敬している。

「はい」

「会社は日本から撤退するぞ」

「えっ」

「アメリカは日本列島が活火山化したとみたらしいんだ」

「じゃあ、これから次々と地震が起きるんですか?」

「俺は専門家じゃないから知らないよ。だけど次は5年後、その次は3年後、その次はその翌年といったみたいに、東北から九州までの太平洋側は東京を含めてめちゃくちゃになると見てるらしいよ。グリーンバーグなんてもういないぜ」

「CEOが居なくてどうなるんですか」

「俺なんか年寄りだから、別に働きたくもないが。若い人は直ぐに身の振り方を考えたほうがいいよ。もう東京には居ないほうがいいかもしれないな。政府も霞ヶ関を地方に分散すると思うよ」

啓介の頭にすぐ八ヶ岳の山々が浮かんだ。

22号写真

「リニアの駅も品川の次が相模原だろ?品川がやられても相模原起点にすればいいってことだ。東海道新幹線がダメでもリニアで勝負ってとこだ。これからどんどん工事は前倒しになるよ。ケイちゃん東京が沈没する前に山の方に逃げろよ」

啓介は眩暈がしたような気がした。しかしそれは急な変化のためではなく、また余震が来たからだった。

目の上のシャンデリアがゆらゆらと揺れていた。

第二十三号◆キャッチボール

揺れはまだまだ続いて、コーヒーショップの客たちが眉を潜ませ目を泳がせている。観葉植物の向こうのロビーのリクルートスーツの魚群が皆で天井を眺めている。東北地方の大地震が大津波になって、原発事故が起きてそれから東京が大地震にやられる?だんだん他人事ではなくなってきた。やめようかどうしようか迷っていたが、留まる理由がなくなった。いや留まれる理由がなくなったのだ。
「相談役はどうされますか」
「俺はもうどうでもいいよ。まだこの年でも必要としてくれたら、学生野球の監督でもしたいな。でも70歳じゃあな」

ウエイトレスがサンドイッチとコーヒーを運んできた。サンドイッチをがぶりと噛んだ吉田が言った。
「キャッチしないか」
吉田はキャッチと言った。啓介もアメリカにいたから、キャッチポールより「キャッチ」と言った方が楽しかった。
「えっ、グラブやボールはあるんですか」
「早く食え」
啓介もサンドイッチをがぶりと噛んだ。レタスがシャキッと割れるとベーコンの煙の臭いが広がった。
サンドイッチを噛みながらコーヒーカップを口に運んだ。コーヒーは熱かった。ちょっと啜ると口の中で色々な味がした。吉田はコーヒーに少し水を入れて一息で飲んでしまうと、指を鳴らしてウェイターを呼んだ。啓介は口の中の物を呑み込むともう一杯コーヒーを啜ってむせた。

ウェイターが来た。吉田は黒いクレジットカードを渡して1,000円札を渡しながらサインをするともう一つのサンドイッチを持って立ち上がった。
啓介もサンドイッチをもう一つ持ってコーヒーを未練がましく見ながら立ち上がった。
「相談役!現金でチップやるならなんでコーヒー代もキャッシュにしないんすか?」
「習慣だよ」
「カード暗証番号持ってないんすか?」
「ない」

答えながら吉田はロビーを通り越して駐車場の管理室に向かってゆく。黒塗りの車をやり過ごして窓越しに「悪いね」というと中の中年男がグローブを二つとボールを一つ出した。

吉田はそれらを受け取って新しいほうのグラブを啓介にトスした。もう一つはかなり古いからもしかして吉田の現役のグラブかもしれない。少し大ぶりのグラブに、かつて人間掃除機と言われた三塁手の面影がふっと見えた気がした。二人は歩いた。堀端の春風の中を歩いた。堀には春の水に満ちて、春風がさざ波を立てていた。平和だった。吉田はどんどん歩いて皇居前広場の芝生に入って行った。

 

23号写真

黒松を背にして吉田が啓介に山なりのボールを投げた。綺麗な回転がかかったボールだった。啓介はグラブをげんこつで叩いてからボールを受けてからグラブを脱いで脇に抱え、ボールを丁寧にこねてから吉田に返した。吉田は少しずつ後ずさりしながらボールを返してきた。

啓介との間はピッチャーとサードくらいの距離だ。
啓介は少し強めに投げてみた。吉田はそれをパチンといい音を立てて体の左側で受けてからボールを右手に持ちかえ、縫い目を確かめるようにオーバーハンドで投げ返してきた。距離は30メートルくらいになっていた。

第二十四号◆最後のボール

返ってきたボールは低かった。啓介は殆ど後ろ向きになってやっと逆シングルキャッチした。キャッチしたボールを左手首を上に跳ねるようにして浮かせると右手でそのボールを受け取った。
「すいませーん!上着脱ぎます」
相手がグラブを挙げてOKしたので、グラブとボールを芝生に置いて上着を芝生の上に脱ぎ捨てた。見ると
吉田も上着を脱いでいた。無造作にたたまれた上着が古く黒ずんだサードベースに見えた。

啓介は左足を少し上げてから踏み込んで投げてみた。
強いボールが吉田の胸元に向かって走って乾いた音を立てた。ぱーん。ハワイ大学から日本のセパ3球団団渡り歩いた人間掃除機ダニー吉田は右に大きく飛んでから、シングルハンドで低いボールを裁いた。取るのではなくまさにさばいて見せた。ピリピリピリとホイッスルが鳴った。振り返ると深緑の松林の向こうに白い皇居の壁が浮くように見えた。ホイッスルがまた鳴った。松の木の陰から出て来た警官がこちらに向かってやってくる。ホームランだと思ったレフトフライが左に切れてファールになった時の線審のジェスチャーの様に、両手で引き戸を閉めるように右から左に押してから両手で体の前に×を作っている。

多分キャッチボール禁止!とかなんとか言っているのだろう。啓介は吉田を見た吉田はラストと言いながら精一杯のボールを啓介の左肩の少し上に返して来た。啓介はそのボールを右に張り叩くようにキャッチしてからサイドスローで吉田に返した。そしてしゃがんだ。しゃがんでブルペンキャッチャ―の姿勢になると左足を大きく投げ出した。股間に拳を挟んでグーチョキパーをした。

吉田は大きくうなずくとピッチャープレートを蹴るようなしぐさをしてから大きく上げてから、少しよろめいた左足を踏み込んだ。ホールが手の先からすっぽ抜け気味に上昇した。

 

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ボールは啓介の頭を越してから力なく芝生を転々とした。啓介はキャチャーマスクを外してボールを追いかけるしぐさをして何歩か走ったが、そこにはボールは警官に拾った警官が立っていた。「アウト」定年間近の警官がボールを持って近づいてきた。「早く出なさい。このボールは没収だ」

啓介は吉田を見た。警官も吉田を見ておやと言う様な顔をした。すると吉田は警官に「サインしましょうか?」と笑いながら言った。「それじゃ」と言いながら思わずボールを差し出し、吉田の方に歩き出した警官は思い出したようにその手を引っ込めて言った。

「ここは禁止だって言う事は知ってるんでしょう」と無理に険しい顔を作って吉田をたしなめた。
「済みません。もうしません。もうできないんですよ、今日が最後の日なんです」

第二十五号◆電震伝波

吉田はジャケットを拾って草を払った。ゆっくりとそれを羽織ると啓介に言った。

「グラブ欲しい?」

「いいんですか?」

「マイ プレジャー」

吉田はこげ茶色の古いグラブの方を啓介に渡した。丁寧に何回も塗り込めたグリースの臭いがした。

会社の方に向かって二人は歩き出した。

霞が関の方からの春風が二人をそっと押していた。リクルートスーツの男女の群れが春風に向かって進んで来て、二人とすれ違った。みんな細くて小さかった。二尾の捕食魚から集団で身を守るイワシの群れのように黒くて灰色だった。イワシの群れを抜けるともう会社だった。平井が落ち着かない表情でやって来た。

「会社は再保険会社に移行して、一般の営業はせえへんらしい」

「辞めるといったら少しくれますかね?」

「君の場合は一か月の給料やないかな」

「わしはこれから家のローンを払わならんからクビは殺生やで」

後ろから由美子の臭いがした、振り向くと「話があるの」と言って踵を返して、エレベーターホールの方に歩いて行った。

「あたしニューヨークに行くかも」

「ふーん」

「なによ。行っちゃっていいの?」

「しょうがねーじゃないか」

「向こうで何するか聞きたくないの?」

「本社に連れて行ってもらえるって話じゃないのか?」

「当たりよ」

エレベーターからリクルートスーツの若い女性が下りてきて人事課に向かった。

「ここには直下型地震が10年の内に60%の可能性で起きるらしいから行きたきゃ行けよ」

「一緒に来たくない?」

ボスのグリーンバーグとも関係がある由美子の世話でニューヨークに行く。そしてグリーンバーグの目を盗んであいびきするなんぞみっともないぜと啓介は思った。それにニュージャージの義理の父の近くで暮らすのも気が重い。

リクルートスーツの女が無表情で出て来た。「玄関払い」言葉が啓介の口から洩れた。地震が全てを変えてしまった。

「俺と百姓やらねーか?」

由美子は呆れたと言う表情をした。

そうだ断ってくれ。罵倒されて断られる方が断るよりよっぽど気が楽だ。

「頭冷やしなさいよ」

由美子は啓介の横をすり抜けて役員室の方に歩いて行った。啓介もその後ろからのそのそと歩いて自分の席に座った。平井が天井を見上げて何か考えているようだ。

一年ほど前の昼、マックのハンバーガーを平井と一緒に公園のベンチで食べたときのことを思い出した。

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皇居の桜がちらほら見えたうららかな日だった。食べ終わった平井が軽くげっぷをしてラップトップコンピュータを覗きこんだ。エクセルファイルを見ている。

「なんですか?」

啓介は暇に任せて聞いてみた。

「入社してから退職までの給料のシュミレーションや」

「シュミレートしてどうするんですか?」

「なんや、キミは将来の計画も立てへんのか」

「立てられるのですか?」

「立てられるやないか、そのためのパソコンやで。定年までの収入は分かるやろ。それに合わせて子育てしたり、家を建てたりするんや」

「そんなゲームみたいに計算でますかね」

「それがサラリーマンの良さやないか。堅実が一番やで」

第二十六号◆脱東京

「固い人生はいいが、固い頭はどうにもならないな」と呟きながら平井が気の毒になった。
色黒のとがった横顔は時には関西の漫才師のような愛嬌も見せるが、少し出っ歯で口を歪めて笑う時など実に姑息な顔をする。しかし何か写真の様な物を取り出して見ているその顔はとても気の毒に見える。組織がバックにあった時の顔と組織がなくなってしまった顔はなんと違うのだろう。俺は違わないぞと思ったが、本当にそうか確かめて見たくなった。
トイレに向かうと携帯が鳴った。末広の野太い声がした。
「今から八ヶ岳に行くが一緒に来ないか」
「行きますよ」
何も考えずに返事した。何かが軽くなった。振られるのも気楽だし、クビになるのも気楽だ。
断るのが俺には苦手なんだ。
「ではすぐ来てくれ。詳しい話は車の中だ」
啓介はそのままエレベーターに乗った。自分かどんな顔をしているかなんて問題ではない。若竹を右に見て橋を渡った。若竹は今晩も休業だろう。
左に曲がるとすぐコインパークがあった。末広が車に何かを積んでいた。

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ソーラーパネルだった。
啓介は黙ってソーラーパネルを一枚持ち上げた。思ったよりは軽かったが畳み一畳よりは小さいもののトラックの荷台に持ち上げるには、バーベルを持ち上げるように頭の上に差し上げる必要があった。
「ぶつけるなよ」
「大丈夫です」
「危ない」
「大丈夫です」
「君の事が心配なんじゃねえ。パネルが心配なんだ」
怪我は放っておいても直るが、パネルはオジャンだ。
「保険は言ってないんですか?」
「入ってない。今入るか」
「金あります?」
「今ない」
「ではゆっくりやりましょう」パネル20枚が荷台いっぱいに敷かれた段ボールの上に並べられた。
「普通は箱に一枚一枚入ってるんだが、これは中古だ」
積み終わると末広が運転席のドアを開けた。啓介は「俺が運転ですか」
と言って気が付いて苦笑いをした。まだ時々アメリカにいる気分で人の車の運転席に乗ろうとしていた。
「間違えました」
乗り込んできた末広がイグニッションキーをまわすと、古いハイラックスはブルット車体を揺らせて乾いた音をうならせた。末広がレバーをリバースに入れると車はゴンと言ってなにかにぶつかった。末広は頓着せずに駐車場を出た。啓介も何も言わなかった。
ぶつかったのが出口の鉄柱だと分かっていたからだ。
「保険に入りましょう」と言って啓介は思った。
おれは初めて人のために保険をセールスしている。
今まではどうだ。売り上げのために要らない人にも売りつけようとしていた。
「啓介商売ってこうでなければならないんだよ」
自分の声が頭の奥で響いた。
「入るよ。なんでもかんでもはいるぜ」

第二十七号◆タウンアンドカントリー

車は神田橋を渡ると料金場を登って西に向かった。
千鳥ヶ淵を左に見て地下に入ると神宮の森が現れ、新宿の高層ビルが迫ってきた。短い早春の陽は西に傾きだし、調布から八王子を過ぎるころは雲間から弱々しい光が斜めに流れて、丹沢山系の後ろからは真っ白な富士山が頭をのぞかせていた。上り坂でアクセルをいっぱいに踏んでスピードを維持しながら、古いハイラックスは唸りをあげるとトンネルを抜けたり出たりを繰り返し、勝沼に広がる平野に出た。下り坂を車は安心したように滑走し、右後方に円錐型の富士山が白く独立していた。前は南アルプス。雪を被った大きな塊がそびえている。右は少しなだらかな白い秩父の山々。車の進行につれてだんだん低くなる。山々が途切れそうになるとそれに代わって鋭く尖った八ヶ岳が現れた。山頂が少し茜がかっている。あの山の山麓に行くのだ。末広がオーディオボタンを押すと微かにピアノの音が聞こえてきた。
「ルービンシュタインのショパンだ」
車は長い直線を走り、広い甲府盆地を切り裂いて再び上り坂を喘ぐと八ヶ岳の主峰赤岳が正面に見えてきた。韮崎から須玉に向かうと赤岳は手前の丘に遮られてしまった。ピアノは勇壮で少し物悲しい英雄ポロネーズに代わった。
この曲は母が弾いていたから啓介も知っていた。
懐かしい音だ。
「ショパンは英雄すらほのかに悲しくするんですね」
「英雄は悲しいんだ」
ハイラックスのオートマは低い絞り出すようなうめき声をあげて最後の坂をよじ登ると、長坂のインターで降りた。それから車はヘッドライトを点けてカラマツ林を北に登った。車道の脇にはまだ冬の名残の雪が積まれていた。霧が出て来た。
末広がスピードを落とした。前方に鹿の群れが急に現れた。

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大きな雄が、角を前後に揺するように宙を飛んで木蔭に飛び込んだ。車が停まると後続の雌や若鹿は雄を追うものと行く手を阻まれて元の林に戻る物とに分かれた。
「今年の大雪の中、よく生き残ったものだ」
しばらく車は停まっていたが、後続が戻って来て道を完全に横切ると末広がシフトレバーをドライブに入れてゆっくりアクセルを踏んだ。車は少し空回りしてからまた走り出してから通りを外れてから、左に折れて空き地に停まった。木の家がぼんやりとヘッドライトに浮かんでいた。末広がレバーをパークに入れて外に出ると、両手を上にあげて背伸びをした。
啓介も車をおりた。かなり寒い。山の冷気が針葉樹の香りで満たされて息が白くなった。末広に言われるままに荷台からコールマンのコンテナを下した。
かなり大きいので下す時には両手はもちろん、片膝も持ち上げて支えなければならなかった。家の戸口でそれを下し、ドアーを引いたがドアーは開かなかった。
「鍵が閉まっています」
「鍵なんかかけてねえ」
末広が来て力まかせに引くとバリッと言う音がして
ドアーが開いた。見ると玄関のタタキに氷が張っていた。廊下も部屋も床も小さなスケートリンクの様だ。

*今後は物語が八ヶ岳に移りますので、実写した八ヶ岳の写真を使います。

第二十八号◆山の仲間達

末広が家の中に入ると、ふさがれていた入り口からヘッドライトの明かりが家に差し込まれ、廊下が銀色に光った。
「地震で水道管のどこかがずれたんだな」末広が呻いた。
啓介がドアの脇のスイッチを入れると廊下と廊下に続く板の間の部屋が氷で覆われていた。スリッパがいくつも舟の様に氷の上にくっついていたり、フェルトの部分が氷に沈んで砕氷船のように明かりに浮かんでいた。啓介は靴箱の上で難を逃れたスリッパを履くとスピードスケーターの真似をして廊下を進んだ。後ろで末広の声がした。「ふざけていないで水が吹いている場所を探すんだ」。啓介はUターンして玄関の横にある洗面所に入ってみた。陶製のシンクの上の蛇口の首から霧のような水が吹き上がっていた。
末広は蛇口につながる水道管を揺らしたり、叩いたりしていたが「ダメだ明日水道屋に頼もう」と言って外に出た。
それから「こっちに来てくれ」と言う声が闇の中から聞こえてきた。声は満月が残雪を白く浮き上がらせた白樺とカラマツが混ざっているは林の向こうからだった。
木々が白い地面にバーコードのような模様を作っていた。
東の空に上がったオレンジ色の月は見たことのない大きさ
で、末広の歩く背中が無彩色だがくっきりと見えた。
ブルブルという馬の声が聞こえた。馬が馬房から首を精一杯伸ばして末広を迎えている。
馬
末広は地面から草を引く抜くと馬に与えた。馬がこぼさないように両手を器に様にして草を乗せている。「グーリ」と言って掌で馬の口を覆うようにして草を与えると
隣の馬房に足を進めた。今度は「イースタ~」言うとしゃがんでさっきより長いなにかイネ科みたいな草を引き抜くと左手に持って,葉の方を二番目の馬に与えた。右手で馬の首を叩きながらぶつぶつ何か話している。
それから納屋に行った。バケツを水で一杯にして二人でそれぞれ水をやった。末広がグリと呼ばれた馬に水をやる間に啓介はイースターの長い鼻先にバケツを掲げた。イースターは馬房の窓を白い息で一杯にしながら首を伸ばすととめどなくバケツの水を吸い込んだ。
バケツがどんどん軽くなる。馬は一息ついて残りの水を飲みほした。啓介が末広の方を向くと月明かりに黒い影が地面を突進してきて末広のバケツにぶつかってガウーンと言う音を立てた。
「バース」末広が嬉しそうに大声を立てた。
中型犬がもう一度末広に跳びついてから雪の上を転げて腹を見せたと思うともう一度末広に跳びついた。
「帰って来ちゃったのか」

 

第二十九号◆八ヶ岳の月

 

「いい子だいい子だ」と言って末広は犬の顔を両手で挟み何度も振った。犬は尻尾をちぎれそうに振って後ろ足で跳ねた。末広が手を放すと犬は末広の顔を舐めまくった。「分かった分かったグリとイースターに餌をやったら遊んでやる」末広は犬の頭をなでながら立ち上がると傾いている木造の納屋に向かって歩いて行った。納屋の前には古びた一輪車があった。建てつけの悪い木戸を開けると月明かりが差し込んで、押し固められた乾草(ヘイ)や、5センチ立方のヘイキューブやふすまの飼料袋が積まれているのが見えた。

図

「一輪車で運んでくれ」と末広が言うので、啓介は一輪車の取っ手を持ち上げた。末広は4袋の飼料袋を一輪車にドスンドスンと積むと顎をしゃくって馬房に行けと指図した。凸凹の草むらを通ってから馬房の前で一輪車の停めると、後から来た末広が先に立ってイースターの馬房の梶棒を抜いて木戸を開けた。馬は待ちきれない様子で前足の蹄で地面をドンドンと打ち鳴らしていた。

末広がまず座布団ほどに切り整えられた大きさの乾草を投げ込むと、馬はそれを前歯で引き千切った。乾草は馬房の板壁にあたって壁つたいに落ちた。馬はさらにそれに噛みついてまた投げた。

隣のグリと呼ばれた馬が、待ちきれないと言う風に嘶いた。ながーく嘶いてから、ブルブルと甘えたように喉を震わせた。末広が啓介に顎をしゃくったので、啓介は一輪車から同じような乾草を一枚取り上げ、少し歩いてからそれをグリの馬房のなかに放り込んだ。

馬たちはもう前掻きと呼ばれる行動も嘶きもせず一心不乱に乾草を食べ、あたりは馬が草を噛む乾いた音がするだけだった。イースターの馬房でガラーンと響く金属音がした。きっと末広が金属製の飼い葉桶に資料を入れているのだ。

もう一回音が響くと末広が出て来た。一輪車を押して来て啓介に、「ヘイキューブとフスマ、トウモロコシを適当にやっとけ」と言って家に戻っていってしまった。犬が後を追って末広を追い越し、こんどは前から末広に跳びついていた。大きな青い影と小さな青い影が離れたり重なったりした。

啓介はイースターの馬房を覗いて分量を確かめ、木戸を開けると中に入り。一輪車の飼料袋を抱えて、それぞれ同じくらいの分量を天井から吊り下げられた金盥ほどの飼い葉桶に餌を注ぎ込もうとしたが、始めの袋のトウモロコシがザーッと言う音とともに桶に滑り込み、黄色い粒が桶の3分の一ほどに埋ってしまった。啓介は分量を合わせるようにフスマとヘイキューブを少なめにして、なんとか分量の辻褄を合わることにした。グリが体の向きを変えて桶に鼻先をぶつけるように顔を向けてきた。白い息が啓介の目の前に広がるとあたりはぼやけ、馬房は青草の臭いで一杯になった。

 

第三十号◆氷の家

餌をやり終えた啓介が末広に次の仕事の指示を貰おうと家に入ると、入口の狭いタタキは割れた板ガラスのような氷の破片で一杯になっていた。末広が床の氷を割っては戸口に運び出していたのだ。
「社長、水道管の元を止めたんですか?」
「止めてねえが、それがどうした?」
「止めなければ水が出っぱなしでしょう?」
「そうか、、、」
「家の周りのどこかに元栓があるはずですよ」
「それを止めないで、馬の面倒を見る奴があるか」
「すみません」と言って見て啓介は噴き出した。馬の面倒を見ろと言ったのは末広本人じゃないのか。家の周りを回るまでも無く、玄関の外に四角い鉄の蓋が見えた、軒下だったので雪が被っていない。
月明かりに冷たく黒く見えた。啓介はかがみこんで蓋を開けて、中にあった鉄製の小さな船の舵輪のような輪を回して締めた。
洗面所に戻ってみると、果たして水は停まっていた。水が噴き出ていたパイプの向こうに窓があった。窓から見える月明かりに小さな動物が映っていた。

リスだった。よく逃げないものだと啓介は思った。近状の森に棲んでいる奴か、それともこの家のどこかに住んでいるのかな。明日になったら麓のコンビニでなにかナッツ類を買って来てやろうと思いながら、玄関の氷の板を放り投げたり蹴り出したりして表に捨てた。それが済むと、今度は廊下の氷を玄関に運び出した。

廊下の氷を運び出すと部屋の氷を廊下に押し出した。押し出す先から末広が氷の板を運び出してきた。バースデーと言う名の犬も氷を鼻ではがしたり、かじっていた。だんだん体が冷えてきた。
「ストーブ焚かないんですか」
「火を焚くと氷が溶ける。家が水浸しになる」
「じゃあ地震が3月11日でなくて夏に来ていたら、家は水浸しだったんだ」
「夏には人が居るから、それは無いだろう。でもあらかた片付けられそうだから、火を入れるか」
末広は部屋の南側のガラス戸を開けて、雨戸も開けるとベランダに出た。ウッドデッキの下に薪が置いてあるらしい。デッキの下でガタガタと言う音がして、末広がラグビーボールより一回り大きい薪の束を三つ抱えて帰って来た。ストーブは黒く小さい鋳物の立方体でブリキの煙突が屋根を突きぬけていた。啓介が板の間の隅の氷をはがしている間に、末広は束の中の比較的細かく割られている薪を3本抜き取とると、ポケットから出したいくつかの松カサと一緒にストーブの小さな扉を開けて屈んで手前の方に置いた。側のテーブルに置いてあった新聞を手ぬぐいのように絞ると台所に行ってガスで火をつけてから聖火リレーのランナーのように新聞松明をストーブにくべた。

リスⅢ

 

第三十一号◆薪ストーブ

絞った新聞紙が燃え上がるのが耐火ガラスの小窓から見えた。新聞紙の火が回りゴーッと唸った。それがパチパチと言う音に変わったから小枝に火が移ったのだ。

靴のままの末広が台所からジョニーウォーカーのビンとグラスを二つ持ってきた。啓介にその内の一つ、背の高い方を渡し、ウイスキーを半分ほど注いだ。自分のグラスにも注ぐと何も言わずに二口で飲み干した。啓介も水が止まっている事を実感しながら飲み始めた。ストーブからとウイスキーからと部屋に煙の臭いが漂ってきた。

ストーブ

トントントン、誰かが戸を叩いている。またトントン。「開けてやってくれ」末広に言われて啓介が入口の戸を開くと、バースデーが飛び込んできた。まっしぐらに末広の元に走り、滑って転んだ。末広と啓介が大笑いすると犬も尻尾を振って大笑いした。嵐の中を帰ってきた登山者の濡れた厚手のセーターの臭いがした。酒のつまみもなく、二人はただ黙って飲んだ。バースデーは床に残っていた氷を前足で挟んで齧っていた。「オンザロックにするか?」末広が尋ねた。

「ストレートにします」啓介は笑って断った。
静かだった。木のテーブルにグラスが当たる音、ときおり弾ける薪の音。部屋が暖まり、微かに水蒸気が漂い始め、眠くなった。
「布団は隣の部屋の押し入れにある。自分で出して敷いてくれ。このテーブルの上はどうだ?」
多分濡れていない場所はそこだけだろう。「分かりました」啓介は隣の部屋に入った。和室だったが、畳は湿っていた。押し入れの引き戸を引くと薄いマットレスが落ちてきた。マットレスは冷たかったが湿ってはいなかった。

マットレスと毛布を二枚持ってストーブの部屋に戻った。末広はテーブルからグラスを二つ手に持って、立ち上がると、啓介に無言でテーブルの上にマットレスを置けと目で指示した。グラスの一つをストーブの上に置くと自分は椅子を部屋の隅まで引いていくと壁に後ろに頭をゆだねると黙って飲み続けた。
「失礼します」啓介は上着を脱いで椅子の背にかけシャツを脱ぐと、その椅子に置き、ズボンを脱ぐと丸めて枕の代わりにした。
尻からテーブルに上がってマットレスに身を横たえると毛布を二枚顎に下まで引き上げた。
「おやすみなさい」ウイスキーの心地よい酔いと疲れが啓介を眠りの国に誘い入れた。

 

第三十二号◆山の朝

何時の間にか朝になっていた。厩の方で音がするので、啓介も起き上った。外に出ると、まだ日の出前だった。もうかなり明るいが、森は薄墨色だった。末広がグリニッシュを引き出して、道路端の馬繋ぎにつないでいた。
末広が大声で「イースターを連れて来てくれ」
「どーやって~?」
「轡(くつわ)に引き綱をかけて連れてくればいい」
「逃げたら~」
「いじめていないのになぜ逃げる?」
啓介が馬房の扉を開けると、馬は啓介を押しのけて出てしまった。
「出ちゃいました~」
イースターは早足(トロット)で末広とグリニッシュのいる馬繋ぎに走った。いつの間にかバースデーが馬の先回りをして道路に出て、身を低め軽量級のボクサーがアウトボクシングするように右や左に動いて馬の行く手を阻んでいた。
啓介も後を追ったが、イースターは自ら末広に向かい、末広に轡を取られると自分の長い顔を末広の方に何度も擦り付けていた。鼻づらがかゆいのか?末広さんに甘えているのか?末広は轡を持ちながら首を何回もパタパタと叩いていた。鳥が歌い始めてしばらくたつと、朝日がカラマツの林を透かして僅かに顔を覗かせた。

朝日

一条の光が林を駆け抜けると、鹿の群れが、朝日に向かって啓介の前20メートルほどを飛びながら横切って行った。先頭の大きく黒いシカの頭には角が無かった。昨夜の鹿の角は大きかったが、今朝の鹿はそれより大きいのに角がない、きっと春は角が抜ける季節なんだろうと啓介は思った。鹿たちは前足を引き込み、後ろ足もたたんでスローモーションを見るような空中姿勢をとって一頭一頭やぶの中に、尻の白いハート形だけを印象深くさせて飛び込んで行った。太陽は下三分の一位を残して昇ってきた。グリニッシュはこげ茶色で、イースターはオレンジ色に見えた。

「水がないから、蹄の手入れをしたら小川に連れて行こう」
末広は木の柄が付いた鉤爪の様な物で、馬の蹄の泥をほじっていた。馬は前足を上げ、後ろ足を曲げ上げて泥や細かい砂利を掻き出してもらっていた。末広はそれを鉄ピと呼んだが、それは大きな木ねじ回しの鉄の部分を曲げたものだった。
「君もやってみろ」
「それ貸してください」
「そこにかけてある鉄ピをつかえ」
そことは馬繋ぎの四本の柱の縦に渡す細長い板の事だった。鉄ピとはU字型の蹄鉄を三分の一ほど切り捨てて出来たJの字の先を尖らせたものだった。啓介がそれを持って馬に近づいて前足を持ち上げようとしても馬は足を上げない。
「もっと馬に密着しないと」と末広が言った。
「馬の反対方向に向いて立って、自分の肩を馬に押し付けて見ろ」

 

第三十三号◆馬の手入れ

末広はグリニッシュの前足の横に屈みこみ、「はい、足上げて」と言うと馬は前足を上げた。
末広はその前脚を逆手に持って、蹄の裏から泥や小砂利を鉄ピで掻きだした。
「馬は中指一本で立っているんだ。蹄は中指の爪なんだよ。爪の垢を掻きだしてやってるんだ」
と末広が説明するから、啓介は自分の右手を握って、中指を突きだしてみた。
「お前なんで俺にファックユーやってんだ」
「あっ、すみません」
末広は笑いながら啓介に、イースターの前足を指差して、目でやってみろと言った。 

馬画像啓介は馬の首を優しく叩き、それからゆっくりと屈んで小さな声で「足上げて」と啓介が言うとイースターは足を上げた。
啓介はその蹄の泥を掻きだし、反対側に回って逆の足の小砂利も同じように掻きだした。末広はもうグリニッシュの左後脚を持ち上げていた。
右後脚はどうするのかと見ていると、末広は馬の右側には行かず、左側から馬の右足の前にクロスして左足を持ってきている。
啓介はイースターの右前脚の掃除を済ませて、後ろに回り、後脚を持ち上げるようなしぐさをすると、グリニッシュは後脚で空を軽く蹴った。
啓介は驚いて立ち上がり「蹴りますよ」と末広に言った。「蹴ってるんじゃない。脚を掴ませようとしてるんだ。もう一回、今度は旨く掴め」

馬はいやいやをするように右足で二回空中を蹴ったが、啓介は倒れそうになりながら脚を放さなかった。キャッチャーが揺れるナックルボールをやっと捕球したような体勢で、なんとか前に倒れずに堪えていた。末広がやってきたので啓介は脚を放すと、今度は馬の方が脚を出してきた。
前脚より後ろ足の方が何倍も難しいと啓介は思った。

末広は啓介に一輪車で乾草を持ってくるように言いつけると、自分はグリニッシュにブラシをかけ出した。馬は気持ちよさそうに身震いし、腰を少しかがめて放尿しだした。牝馬だとわかった。甘い小便の臭いがたちこめた。
啓介が乾草を運んでくると、グリニッシュが馬糞を落とし始めた。グリも牝馬だった。
馬糞は青草の臭いを強くしたような臭いは啓介にとって嫌な臭いではなかった。乾草を馬の前にそれぞれ落とすと、末広はその一輪車に馬糞をシャベルで積んだ。イースターもボロをするから一緒に「馬場の横の堤の前に捨てて来てくれ」
その言葉が終わるか終らない内にイースターがボロを落とし始めた。末広はイースターのつなぎ場に入って、「ちょっと寄れ」と馬に言って自分が入るスペースを作ってから、シャベルでボロをすくって一輪車に積み上げて、啓介に顎で堆肥場をもう一度指示した。

 

第三十四号

堆肥場はつなぎ場から100メートルほど西にあった。100メートルと言うのはバッターボックスからレフトのフェンス位の距離だから啓介は感覚的に分かった。そこまで一輪車を押してボロ(馬糞を)運んだ。日陰には残雪が残り雪が無い場所の土は黒かった。

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どこから来たか金色に近い茶色の鶏が4羽が堆肥の山で餌をついばんでいた。その中で大きな鶏冠と長い尾を垂らした雄鶏が、堆肥の山のてっ辺で、上を向いて、のんきに鴇を告げていた。

「ダングヒル、糞山か」啓介は呟いた。「Love is dung hill」「愛は糞山で、俺はそこに上がって鳴いている雄鶏だ」アメリカのハイスクールの国語の時間で習った、つまりアメリカでは母国語の授業のクラスのヘミングウェイ作「キリマンジャロの雪」の一説を思い出した。

「ああそうか」啓介は思った。「愛なんか糞の山位の価値しかないってことなんだ」主人公ハリーが金目当てで付き合っている女ヘレンに対して自分が死ぬ前にいったセリフだ、死ぬ前に俺にとって愛なんか何の価値もなかったんだと言っていたんだ。多分ハイスクールの先生もここを理解しないで教えていたんだなと気が付いた。その台詞に続いてハリーは俺は糞の山に登って鳴いている雄鶏だと言うが、これは自分の糞の山で鴇の声を上げる、つまり、家で自分の女には偉そうに振る舞う内弁慶の男を言っているんだとひらめいた。

「おい雄鶏さんよ。自分の女たちの前ではずいぶん立派に歌うんだなあ。だけどイタチやハクビシンが来ても、今みたいに立派に振るまえるのかい?」啓介はオフィス備品を売り込みに来た業者に対して見せた平井の横柄な態度を思い出した。この人はこの大手オフィスメーカーに保険を売り込むことになってもこういう態度で売り込むのだろうか?近くにいる女子事務員の傍で偉そうなことを言っているが、物乞いに行くときは首を垂れて、鶏冠を前に倒して、コッコッコと小さく鳴くんだろう。

平井の痩せて小さな顔の眼鏡の奥で光る小さく丸い目が脳裏に浮かんだ。携帯電話が鳴った。「はい船橋です」「おい、どこにいるんや」そのニワトリからの電話だった。いつもの詰問口調ではない。一人ぼっちのさびしがり屋が友達の居場所を尋ねるあの口調だった。

「甲斐大泉です」
「あのスキー場の件かいな」
「そんなところです」
「そやけど、代理店になってもろても・・・」
電波の調子が悪くなって、声が小さくなって、途切れ途切れになって、切れた。

 

第三十五号◆シジュウカラ

なんだか平井が気の毒になった。思い出したら電話が来たなんて気持ちが悪いと思ったが、この人とはなんか縁があるのかなあとも思ってみた。縁ってなんだろう。出会いだろうな。地震も出会いかな?いや地震は生き物ではない。巨大な龍のように暴れるけれど動物ではない。ではバースデーはどうだ?グリニッシュやイースター、昨夜のリスは?北の空を見上げると赤岳が朝日に赤く輝いていた。

秋に見るあの山ひだが一つ一つ見える。鋭い輝きではなく、どこか間の抜けた暖かい輝きだ。大昔、富士山と背比べをして気張りすぎて山頂を吹き飛ばしてしまったと言う昔話を聞いた事があったが、山は生き物ではない。では縁はないのか?いや俺の人生に影響を及ぼすのなら生き物でなくても縁があるのではないか。由美子はどうだ。生き物でも縁がなかった奴もいる。

啓介は一輪車を逆立ちさせて馬糞を捨てた。傍にいたニワトリがふわっと浮き上がって馬糞を避けた。こいつらとも縁があったのかな?一輪車を引き戻し、納屋の方に押しながら考えた。でも縁ってなんだろう。からからと空の車を押して末広の所に戻ってから末広に聞いてみた。「縁ってなんですか?」

馬をブラッシングしていた末広が怪訝な顔をして啓介を見つめた。しばらくして「ここに来た事の縁を考えてるのか?」

「そうかな」啓介はぼやけた質問をしたものだと自分で思った。しかし末広から返ってくる言葉からキャッチボールが始まって、何回かのやり取りでボールは強さを増して心臓の前に構えたグラブに小気味よいボールをぶつけてくるのだと期待した。

「乾草をこの位の厚さにして持ってきてくれ。その間に考えておく」

案の上、返ってきたボールはヘロヘロ玉で、おまけに啓介の前で二回ほどバウンドしていた。

「乾草はどこにありますか」啓介も山なりのボールを返した。

「昨夜の場所だ。バース教えてやれ。」

末広がバースデーで命じた。犬は尻尾をちぎれるように振ってから、イスラムの礼拝のように前脚を前に伸ばして頭を下げた。しかしイスラムの人々がやるように目は伏せず。嬉しそうに末広を見ながら、耳を後ろに倒してワンとキャンの間のような声を出して吠えた。

おごそかさとは縁遠いその伏せを元気いっぱいに3回繰り返した。それから踵を返して厩の方に小走りになってから、しばらくして啓介の方を振り返り、啓介がついて来るのを確認した。「バース大丈夫だよ。ちゃんと付いて行ってるよ」真っ直ぐに伸びた唐松の梢で黒白模様の小鳥がビーシュビーシュと歌っている。それはバース、バースと呼んでバースデーをからかっているようだった。犬は乾草の場所まで来ると、ここだよと言わんばかりのしぐさをして、すぐ末広の所に走り返ってしまった。啓介は乾草を積んで末広の所まで戻ると言った。

「小鳥がバース、バースといってバースをからかっていますね」
「からかっている奴はカラってえんだ。あそこの奴はシジュウカラ。しじゅうカラカッテルってる、なんちゃって。そのほかにゴジュウカラ、俺みてーな年の奴とかヤマガラなんて奴がいるけど、名前は知ってるよな?」

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第三十六号◆水仙

末広が続けた。「それにしてもシジュウカラがバースバースって鳴いているって言った奴は君が初めてだ。普通はビーチュク ビーチュクって聞こえるんだけどね」
「社長は鳥にも縁があるんですね」
「社鳥って言うから会社の鳥かなあ」と末広は言った。
「それにしても俺はかなりみすぼらしい鳥だな。群れになって飛んで来る借金鳥にも追い回される。君たちも社鳥だな。何千羽いるんだろう?ムクドリの群れだな」
啓介もそうだなと思った。
末広は馬の体を丁寧にブラッシングしながら「江戸時代は労務者の事をムクドリって言ったんだよ。リクルートをムクドリ狩りって呼んだんだ」と思い出したように語った。

そうか俺はムクドリだ。何千羽の中のムクドリの一羽だ。そうか、山に来たから鳥を連想し、東京湾の近くでは魚を連想するんだと啓介は思った。末広が言った。
「手を止めてはダメだ、二つのことぐらい一緒にやれ」その通りだと啓介も思った。走りながらボールをキャッチして、ジャンプして投げるんだ。「何回も往復して馬房の馬糞とおが屑を全部運び出せ。運び出したら向こうの小屋のオガ屑を厩に敷いてくれ」
啓介は再び馬房の方に一輪車を押しだした。

地面の凸凹にバンバン跳ねる一輪車を押しながら考えてみた。英語のfateと言う言葉が思い浮かんだ。フェイト。何か重苦しいな。縁の方が出会いっぽくていいな。人でも物でもうまくくっついたら縁があったのだ。うまく行かなきゃ縁が無かったんだな。行き当たりばったりって事だ。「行き当たりばったり」啓介は呟いた。ふと見上げると東の空は血に染まったような朝焼けだ。「原発」啓介は声に出した。
自分たちは逃げるように西に走った。会社のアメリカ人や大手町のビルの階上の中国人たちはどこかへ行ってしまった。国へ帰ったのか、どこか西へ逃れたのか。由美子はどこにいるのだろう。まだ日本か?機上か?既にアメリカか?若竹の夫婦はどうしているのだろう。被災した人々はどうなってしまうのだろう。啓介はおが屑の山の前で深いため息をついた。
おが屑がばらまかれている残雪から水仙の芽が顔を出していた。

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啓介が雪だまりを刺して立っているシャベルを抜き取って、おが屑をすくおうとすると、どこからかエンジンの音が聞こえてきた。耳を澄まして聞いていると、それが一度途絶え、また聞こえてきた。啓介がおが屑を載せた一輪車を押して、馬場と家の敷地を割って走る道路にでると乗用車が上がって来るのが見えた。黒っぽいホンダのアコードだと思った。啓介が道を横切ると、その車はさらに登って来て啓介の背中から10メートルほどの場所に止まったようだった。後ろから女性の声がした。金髪ではないがからに明るい髪の毛の女性が「スミマセーン」と叫ぶ声が、啓介の背中にぶつかった。振り向く啓介に女性は少し擦れた声で「ヤツガタケドコ?」と聞いてきた。

「それ」啓介が赤岳を指差した。「ニシどこ?」「あっち」と言って啓介は朝焼けの空の反対側を指差した。
「アリガト」
ずいぶん疲れているみたいだと啓介は思った。
「May I help you」と言ってみた。
女の顔が明るくなって、「Yeh、please」と言った。30歳代後半のかなりの美人だ。
昔見たサウンドオブミュージックのジュリーアンドリュースみたいだなと啓介は思った。

 

第三十七号◆森のレストラン

「I’m running away from Fukushima to the place where there is no放射能」と女が言った。
「放射能 reach up to here?」
啓介は答えた。
「I don’t think so」
それから末広に向かって「放射能はここまで来ませんよね?」と大声で尋ねた。
「ここまでは来ねえだろう」
末広が答えた。女は末広の方を向いて「Are you sure」と言いながら「Oh Horses」といって顔を明るくした。
「Do you like horses?」
「Yes, I do very much」
女は車を停めて降りてきた。襟を立てたピンク色のブラウスの襟のボタンが上から三つはずれ、日焼けしたそばかすの多い胸がはだけていた。ジュリーアンドリュースとの違いは、日に焼けていることと、豊かな髪の毛が肩で波打っている事だった。
女は道端の牧草を引き抜いてグリニッシュに与え、首筋をパタパタと叩いた。
「You like riding」
末広が言った。
「スキデス」女が日本語で言った。
「俺の事がか?」
末広が自分を指差して言うと
「First horses and second may be you」と女は言い、声を上げて笑った。
「手伝ってくれ、手伝うHelp わかるね?I will give you breakfast」
「OK」
女は嬉しそうに笑った。
「じゃあこれ頼む」末広が女に引き綱とワイヤーブラシを渡して「ウォッシュ フット」と言って、脇を流れる小川を顎で示した。女は「clean hooves you mean? 蹄の手入れの事?」と聞き返したので、啓介は「I think you are right」と言った。

女はグリニッシュの首筋を何度か優しく叩いてから、馬の頭絡に引き綱をカチッと掛けて、チッチと舌を鳴らして引き綱を軽く引くと馬は女の方へ歩き出した。女は啓介に「Take another」と言って先に歩きだし、小川の淵で、引き綱を片足で踏みつけると、もう一方の脚を持ち上げて履いていたスニーカー(濃紺のサッカニージャズ)を脱ぎ、コットンソックスも脱いだ。同じようにしてもう片方の靴下と靴も脱ぐとラングラーのジーンズを少したくし上げて、踝程まで水に入ってから、グリニッシュにまたチッチと大きめの舌打ちをして馬を水の方に引いた。

馬は首を立てて水に入ることを拒んだので、女はチッチチッチチとさらに大きく舌打ちをして綱を強く引くと、馬は右足を小川に浸してから、腰を低める様にして左足を水に入れ、前に進んで小川の上流に向かって四肢で立った。女は馬を更に上流に誘ってイースターの為に場所を空け、ワイヤーブラシで馬の蹄の泥を落している。

啓介も女の下流に馬を下ろしたが、イースターは引きもしないのにグリニッシュと同じことをして自ら水に蹄を浸した。「It’s first time
For me」啓介が言うと「You are too good. Is it realy first time?」と女が低く甘ったるい調子で聞いてきた。アメリカ南部のアクセントだった。

初めてのセックスの相手が大年増だとこんな会話になるのかなと思ってドギマギしてしまった。末広の声がした。「犬と馬と一緒にみんなで朝飯を喰おう」「We all eat breakfast together OK?」末広が犬と馬二頭とと女と啓介を順番に指さして言った。
女は怪訝な顔をして「Yha」と小さく言った。
啓介は動物三頭と人間三人でどうやって一緒に朝飯を食べるのか良くわからなかった。

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第三十八号◆森を抜けて

末広は小川で手を洗い、携帯電話で水道屋に水が噴き出している旨を説明しながら先頭に立って歩いた。いつの間にかバースデーが末広を追い抜いて露払いの役目を始めた。きっといつでもそういう役目なのだろう。

啓介は「My name is Keisuke」と言うと女は「I ‘m Liz」と言った。リズはグリニッシュを啓介はイースターを引いて末広の後を歩いた。先頭を歩くバースは時々末広の方を振り返り耳を伏せ、尾を振って嬉しそうだった。何かしゃべっているようだ「春は楽しいね」と言っているのかも。モミの林を切り開いた山道にはモミの臭いが立ち込めていた。日が当たらないので雪はまだ馬の蹄が埋めるくらいの深さだった。末広は「蹄なんか何か洗う事なんかなかったんだ」と苦笑いして言った。「雪できれいになってしまう」

小川で洗った蹄は雪溶けの泥でまた汚れ、残雪を歩くとまた鼈甲細工のようにきれいになった。しばらくモミ林を歩くと道の東側が開けた。山が裂け、遥か下には雪解け水が轟音となって流れていた。音はさらに高まり、30メートルほどの高さの滝が眼下に現れた。

シジュウカラやもっと小さな小鳥たちが藪に入ったり出たりするが轟音で笹鳴きが聞こえない。さらに進むと行く手には大きな岩がいくつも出現した。岩の上には去年の落ち葉が積み重なり、杉苔がその湿気を保存している。バースデーは岩を左に曲がって避けると谷から離れるように歩いた。

末広がそれについて、啓介とリズと馬達はそれに続いた。林はだんだんナラやクヌギの量を増し、地面は一面の笹薮となった。少し進むと笹薮の先に木造の西洋館が出現した。何枚かの長い板が腰板として縦に張られ、二階部分がテラスになっているようだ。

末広が馬を放せと言うから啓介とリズが馬の頭絡から引き綱を外すと、馬はすぐに笹を食み出した。末広がかまわずその建物の小さな木戸を開けて中に入るので、引き綱をぐるぐる振り回していた啓介と、それを腰に巻き付けていたリズも彼に続いた。暗い木の階段を末広に続いて上がると、急に明るくなって、彼らはさっき見たテラスに出た。そこは洒落たレストランだった。大きなガラス張りの引き戸があって、部屋の中の暖炉で、薪が赤く燃えていた。末広は暖炉のそばのテーブルにドカッっと腰を下ろすと啓介とリズを右手をしゃくって手招きした。

「バースはどうした?」末広に聞かれ、啓介はしまったと思った。バースデーの事を忘れて裏の扉を閉めてしまったのだ。啓介が階下に戻ろうとすると「There she is」とLizが言うから表を見ると金色で長め毛が光るバースが表の道路に面したエントランスからこちらを見ている。

裏を閉められてしまったので、表の通りにまわったのだ。リズが席をたってバースを迎えに行くと、尻尾をちぎれるほど振ったバースがドアが開くと同時に飛び込んできて末広の横に座った。若くて美人のウエイトレスがバースに笑いかけて末広に注文を聞いた。テラスの向こうでは馬が二頭、笹を食んでいるのが見えた。

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第三十九号◆コーヒー

「朝飯三人前。俺目玉焼き」末広が言ったので啓介は「How would you Like?」 とリズに聞いた。
「スクランブル」リズが言った。
「俺はオムレツ」啓介が言った。
「トースト一枚余分に付けて」末広が言った。
「はい、バースの分ね?皆さんコーヒーですか?」ウエートレスが言うと皆が頷いた。
「ブレンドですね」
また皆が頷いた。リズがアクビをした。
「タイヤード?」
「イエス ヴエリーマッチ」
「アイル スリープ インマイカー」
「ノー ユーキャンスリープ イン マイハウス」
末広が言うとリズはにっこりして「サンキュウ」 と言った。
「アイ ドローブ 3デイズ フロム福島」
「三日間運転して何所へ行くつもりだったの?」
末広が尋ねるとリズは啓介の方を見て「ドコ ツモリ?」と聞いた。「ウェア アーユー サポーズド トウ ゴー」啓介が言うと「ノーウェア―」とリズが答えたのを末広が「家には女物は無いぞ。ノーウェアー イン マイハウス」と言った。「あのね、ウェアーは服じゃないですよ。どこっていう意味ですよ」
啓介が慌てて説明すると末広は啓介にかまわずに「ノー ウェアーフォー ウィメン イン マイハウス」とリズに言うと、ちょっと間をおいてリズが噴き出した。 

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コーヒーが運ばれてきた。カップ達がソーサーの上でカチャカチャとはしゃいだ。カップの音が静まると「ミルクとお砂糖どうしますか?」とウエイトレスが三人を見渡して聞いた。末広と啓介が砂糖は要らないと言うと、ウエイトレスは「みなさんブラックですか?」と聞いた。リズが「ノーブラック」と言ってミルクの小さな金属壺を指差すと、ウエイトレスは怪訝な顔になって「ノーブラック? ノーブラック?」と尋ねた。

リズは「ノーブラック、ホワイト」と言った。啓介はウエイトレスに「ミルクが入れば白くなります。だからミルクが入らなければ砂糖が入っていてもブラックだよ」と微笑んでいうと、ウエイトレスは天井を上目使いで見ながら何回か頷いて微笑んで「へー、勉強になりました」と言いながらミルクの壺だけをテーブルに置いて引っ込んだ。

「コーヒーはブラックジョークだな」末広が言った。
「いえ冗談でなく、本当なんです。黒か白は砂糖には関係ないでしょ」と啓介が言うと末広は「話が人種問題になりそうだから止めよう」と言った。啓介がそのことをリズに説明するとリズは豊かな髪の毛をかきあげて楽しそうに笑って、三日間笑わなかったと啓介に言った。
「そりゃー気の毒だった。大変な旅だったんだな」
「フクシマのドコから?」末広が問うとリズが答えた「ナミエ」
「ナミエって浪江町?」末広はコーヒーカップを置いた。「よくぞご無事で」

 

第四十号◆浪江の春

いつの間にか店のオーナーが末広の後ろに来ていた。70歳くらいの年配で、からし色のツイードジャケットにフラノのスラックス。足元は薄茶のクレープソールのサファリブーツで、髪の毛は白くてずいぶん薄くなってはいたが、ラブコメディーが得意なかつての人気二枚目俳優にそっくりだ。「3月11日以来、客は殆ど来ません」とか「ここにまで影響が来てるんですか」とか「遊びは日本中が自粛です」とか末広が首を回して、店主と色々話をしている。
店には末広達しか客がいないので、末広の声が良く響く。

中高年二人の話をよそにリズは啓介に英語で話し出した。リズは浪江町の小さな英会話教室の教師だと前置きして、地震や津波、そして原発事故について啓介に話した。

3月11日の正午、リズがクラスを終えると太った50歳くらいの女経営者に呼ばれた。経営者はリズにグレーのスチールチェアをすすめると、自分も小さいテーブルを挟んで座り、テーブルの上の二つの違ったデザインのカップにネスカフェを注いだ。

経営者はウェルとかアーとか言いずらそうに前置きをしてから、教室の賃貸契約は今月の末で打ち切られるだろうという趣旨の発言をした。リズが勤め始めて半年の間、こんなことになるだろうと予想はしていた。生徒がなかなか集まらないのだ。

きっと家賃も二か月くらい払ってないのだろう。今まで給料をよく払ってくれていたとすら思った。「アイ アンダスタン ダイジョブデス」と言うリズに経営者は椅子から腰を浮かせて何回も「アイアムソーリー」と言って、頭を下げた。

経営者にこれからどうするのかとか、継続は不可能なのかとか意味のない会話をして、意味なくグズグズしても意味がないと思って、「ダイジョブデス」と微笑んで席をたった。月末まであと何回クラスを受け持つのだろうなと思いながら建物を出た。腕時計の短針は1時半近くを差していた。

学校の近くのコンビニに寄って、おかかと書いてある削り節が入った握り飯一つと暖かい緑茶のペットボトルを買った。何も考えずに車を海岸に向けた。太平洋を眺望してこれからの事を考えたい。車は丘の一本道をくねくねと登り続けるとしばらくして丘の上に出た。丘は広場となって、目の前には大海原が広がっていた。

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リズはコンビニの袋から、握り飯と、まだ温かい緑茶を取り出すと、車を降りて草の上に腰を下ろした。

第四十一号◆原発崩壊

ジーンズの尻が少し湿って冷たかった。リズは土の上に足を投げ出すと、ボトルの茶を一口飲んだ。カサカサの喉が潤った。尻の少し後ろに左手をついて、もう一口ごくりと今度は多めに飲んだ。飲みながら遠くを見ると空も海も春にしてはあまりにも無表情に青かった。冬枯れで茶色になっている草原には小さい緑の双葉が所々に生えていた。

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無彩色だった東北にもいつのまにか春は忍び寄り一気に春を盛り上げようとしているようだった。しかしその時、盛り上がったのは春ではなかった。大地が盛り上がったのだ。草原は盛り上がってそのままドカンと落ちた。そしてもう一度、今度は所々が弾かれたようにてんでんばらばらに浮かび上がった。リズは自分の平衡感覚に異常が起きたのかと思ったが、それは地震だった。よろめきながら起き上ったが、どうしてよいのか分からない。

逃げ場がないのだ。振り返るとアコードがふわふわ揺れていた。やがて揺れは収まったが車は揺ら揺らしばらく揺れていた。借家している茅葺の家に戻ろうかと思ったが、しばらくここにいた方が安全だと思い直し、草原にたたずんでいた。荒涼とした景色の中で、一人ぼっちの心がささくれた別れた夫や娘の顔が頭に浮かんだ。この太平洋の対岸にいるはずだ。リズは思わず水平線を眺めた。今日の水平線はいつもより高いかなと思っていると、それはどんど大きくなってこちらに向かって攻めてくる。

ツナミ!
リズは叫んだ。そう、津波だ。どんどん盛り上がって、白い漁船を捕まえた。船はうねりに支え上げられ、サーフィンしだした。「オーマイガッ」、波頭が白く割れて漁船は波の上で向きが変って、滑るように岬の裏に消えた。津波は咆哮し、考えられないほど大きな龍となってのたうった。ここから動いてはいけない。

リズはそう思ってスマホを取りだした。英会話教室の経営者に電話を掛けようと思ったからだ。

かけてもどうしようもないことくらいわかっていたが・・・電話は通じなかった。メールは?なんて書くの?わからない。津波は2,3キロ先に少し霞んで見える原発プラントの堤防も乗り越えて建物にぶつかって波頭を大きく大きく爆発させていた。

冲では更に大きな別の津波が立ち上がっていた。今度は横並びに伏せていた何十頭もの龍が首をだんだんもたげながら迫ってくる。第一波よりもっと巨大だ。原発が壊される。「チェルノブイリ!」リズは叫んだ。車に駆け寄り、エンジンをかけた。エンジンは消え入りそうなセルモーターのすすり泣きの後、やっとかかった。とにかく原発と反対の西に逃げよう。車はタイヤを少し空回りさせ悲鳴を上げながら、海岸の道を西に走った。

 

第四十二号◆原発2

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崖の下の海で何が起きているか知りたくもなかったが、右手の山側の土手の墓地では墓石が殆ど倒れ、斜めになっている大きく古い墓石が今、倒れた。道には山側から土砂が所々崩れ落ちて、対向車線を埋めていた。先へ行けば行くほど土砂量は多くなっていった。対向車も後続車も、もちろん先行車だっていない。不安は心臓の鼓動となって、締め切った車内に響いているようだった。握りしめるステアリングの手には冷や汗がにじみ出ていた。無理しても走り抜けようか、それとも引き返そうか。速度を緩めたり、速めたりして考えた。
主の祈りを唱えた。
Our Father, Who art in heaven
Hallowed be Thy Name;
Thy kingdom come,
Thy will be done,
on earth as it is in heaven.

天にまします 我らの父よ

願わくば 御名(みな)をあがめさせたまえ

御国(みくに)を来たらせたまえ

御心(みこころ)の天になるごとく 地にもなさせたまえ

それからは、あゝ、分からなくなってしまった。
「神様、前に行くべきでしょうか、引き返すべきでしょうか」。
迷う事はなかった。迷えなかったのだ。直径が一メートルを越すような岩が二つ、道を塞いでいた。ブレーキを思い切り踏んだ。

車は路上の泥を滑りながら、テールを振って後ろ前になった。リズは夢中でアクセルをふかし、車はそのまま今来た道を引き返した。
土砂を縫いながら走ると、やがてあの丘の上に戻った。ウインドウを開けた。サイレンがけたたましくなっていた。
遠くでスピーカーが何か怒鳴っているが、意味が良く分からない。冷静になろう。再び丘の草原に車を停めて外に出てみた。原発プラントは足元が少し壊れていたようだが、そのまま建っていた。「リズ、冷静になって」自分に言いきかせた。

地面が揺れた。しかし前の揺れよりだいぶ小さかった。波は建材や小舟たちを連れて冲に引いてゆく。押し寄せる時より引き足の方が速いようだ。まさかもう津波は来ないだろう。先にいけないのなら自宅に戻るしかないとリズは思うと車を丘の下に向けた。何台かの車とすれ違ったが、その人々の形相から、ただならぬ気配が感じ取れた。丘を降りて細い山道を登るとリズの古民家が見えてきた。

昔の炭焼き業者の家だったその家は集落から一軒だけ離れた里山の中に建っていた。瓦がずいぶん落ちて土がむき出しになって、禿げたところが生焼けのクッキーのような色になっていた。柱が斜めになって家全体が横から押されたマッチ箱のように傾いていた。雨戸が外れて柿の木に寄りかかっていた。
危険で入れなかった。

 

第四十三号◆消えた港

揺れがまた来た。引き込みの電線が、少女が二人で回す縄跳びの縄のように揺れ回り、屋根から瓦がいくつか滑り落ちた。遅い午後の陽が斜めに差して、ざわざわと騒ぐ竹藪を赤く照らしていた。人は一人もいないし、携帯電話もつながらなかった。

とりあえず誰かに会ってこれからの事を相談したかった。リズは「にぎやかなUkedo港に行って他の人々がどうしているか知ろう。お腹も空いたから、お刺身定食でも食べながら考えよう」と思った。車をスイッチバックさせて請戸港の行きつけの食堂に向かった。しかし車が一山越すと、そんな考えは見事に打ち砕かれてしまった。

いつもならこの辺の高台からアカマツ林を透かすと見える港が今日はないのだ。水産会社の向上も、漁協のビルも全くない。それより港そのものがないのだ。景色があった所は瓦礫となった舟や車や人の家と、それを押し流す一面の大水になっていた。水から首だけ出してロープを必死で掴んでいる人や、手を振って助けを求める屋根の上の人たちが見えた。リズの体はわなわなと震えた。

するとそれに呼応したようにまた余震が襲って地面も震えた。リズは揺れる車にまた乗り込み、街に向かった。何かしなければならないと思ったからだ。3キロくらい走ると道路は消防団の赤い車でふさがれていた。窓を開けると、若い青年が「ストップ、ストップ、ノー、ノー」と言って行く手を阻んだ。リズは何か手伝いたい旨を何とか分からせたかったが、言葉は通ぜず。

若者は血走った目で「ノー、ノー」と怒鳴った。リズは諦めて山の家に戻ることにした。若者の「ノー、ノー」ももっともだと思った。自分が街に降りても人の迷惑になるだけだ。家に戻って余震が収まるまで車に居よう。明日になれば揺れも静かになるから、取り出せるものは取り出して引っ越しの準備をしよう。それにしても津波に襲われた人たちはいったいどうなっているのだろう。

「You can do nothing」どうもしようがないじゃないかと男の声がしたような気がした。「だから言わない事じゃなかっただろう」と別れたボブが冷笑しているようにも聞こえた。孤独で無力だった。車を家の庭に止めてシートの背を倒すと、急に気が遠くなって、失神のような眠気に襲われた。夜中、ダンテの神曲の挿絵の様な夢を見て目が覚めた。しばらくそこがどこかわからなかったが、尿意に襲われるとそこが車の中だと分かった。

のろのろと車から降りて用を足すとまた車に乗って寝た。今度は運転席ではないシートに寝た。その方がアメリカみたいで落ち着いた。明け方目が覚めた。東の空が真っ赤な朝焼けに血塗られていた。昨夜から全く何も口にしていなかった。まず食べ物だ、とリズは思った。車の座席の下に昨日のみ残した緑茶が3分の1ほど残っていたので、飲み干した。どこかに行って食べ物と飲み物を買おう、それからゆっくり引っ越しの準備だ。リズはまた車をスタートさせた。

 

薬草で耕作放棄地を復興

日本の耕作放棄地は年々増加して、その合計はいまや滋賀県より大きくなっています。
GreenTはグリニッシュ農林株式会社と協力して再エネ事業と農業の融合で農家を支援し、ユニークな作物作りに挑戦し、農家の耕作放棄地の再利用に腐心いたします。
農家の経済的自立を支援し、帰農と参農を促進し地方創生に尽力いたします。

しかも電気を販売でき、景観に最大限の配慮をする。
そんな理想的なソーラー発電をしましょう。

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GreenT秘密の薬草園は耕作放棄地の救世主です。 パネルが外から見にくいので景観を変えません。 農園主か薬草栽培スタッフが常駐してソーラーのメンテナンスも行います。 電気柵と生垣が害獣や不審人物の侵入を防ぎます。 遠隔監視装置グリーンビューで薬草の成長がわかります。 グリーンビューが害獣や不審者のビジュアルな記録を残します。 秘密の薬草園はオーナーに売電代金と作物の売り上げを届けます。 GreenT秘密の薬草園は耕作放棄地の救世主です。 秘密の薬草園でできたセラピーティーは ソーラー館でもお楽しみいただけます。 オーナーご一家の休日の楽しみが増えます。 family_smail

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電気柵を低圧と低圧のフェンスに

低圧契約が集合した大きなソーラー施設がよくありまが、そこにある50kW未満の施設と施設は屏で仕切られていなければならない規則があります。しかし、その屏の総延長はかなりになり、金額もかなりのもとのなってしまいます。そこでGreenTがご提案するのがソーラー電気柵です。グラスファイバーポールとポリワイヤーいざとなれば電気が走る極めて簡素な遮蔽物となります。何十万とする金網や金属パイプの柵とくらべて信じられない価格です。

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