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TrinaSolar(トリナソーラー)ストーリー

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TrinaSolar(トリナソーラー)ストーリー

Trinasolar_meeting

私は当時中国でビジネスコンサルタントをしたり、拙い知識で大学の教壇に立ったりしていました。その時の私の教えは、中国のビジネスマンよ、世界を目指せと言うものでした。その時の中国人学生の意欲に燃えた瞳はいまでも忘がたい思い出ですが、一方、「言うは易し」、というような目が聴衆のなかにあったのも事実でした。象牙の塔出身の講師ではなく、実践経験のある者としての自負があった私は聴衆に答え、「例えば中国にはTrinaと言う独自のブランドをもった優秀なソーラーパネルが有る。私は私の主張を実践するためにもこのパネルを日本で売って見せるから、諸君もその私を見ていてくれ、そしてセールスとかマーケティングはまず自分で実践しなければならないのだよ」と見えを切りました。

タタミ一畳程のトリナソーラーのパネルを持って日本に帰った私は、まず東京世田谷の事務所の隣のビルに向かいました。 そこは福祉施設でした。ピンポーン「近所の会社のものですが」「は~い」メガネをかけた実直そうな中年職員が応対してくれた。「熱射病を防ぐため扇風機を設置しませんか?」私の唐突な提案に職員は苦笑いをして答えた「扇風機だってエアコンだってありますよ」「ですから、省エネの為にそれらをソーラーで動かすのですよ」私は答えた。なんて言って断ろうかと職員は困惑していた「今は理事長がいないので、理事長に会ったら言っておきますよ。ところでなんというソーラーパネルなのですか?」トリナと言います。「なんだ日本製ではないのですか。安かろう悪かろうでは報告しづらいですね。中国製ですか?うちは公共性の高い施設なので、すぐ壊れるのはね~。宣伝はしているのですか?吉永小百合のシャープみたいに」職員の態度はもはや理事長に報告するというものからかけ離れてしまっていた。

世田谷ではダメでもと私は小田急沿線を西に走った。登戸も同じ反応だった。そして厚木でも、、、、しかし厚木の農地では少し違った。もっと悪く違った。そもそも屋根なんかないのだ。景色が変わると人も変わった。中国製ソーラーパネルに興味がないのは共通していたが、農家の人々はそんな物を売りつけに来た私に興味をもった。そした野良で色々な話をした。作物が余っていること。あれっ日本は食料が足りないんじゃなかったの? 野生動物が畑を荒らすこと。それが原因で高齢者は農業を諦めること。 「爺さん、オレが動物が畑に入らないようにしてやろうか?」「どうするんだ」「畑に電線を張り巡らせるのさ」「山の畑には電気は来てないぞ」「ソーラーで発電してやるよ」そんなことで小さなソーラーパネルがひとつ売れた」「厚木だ」私は週末ごとに厚木の農家を歩き続けた。一日30人に話しかければ一台のパネルが売れた。そして半年が過ぎた夏のある日、田んぼで稲を見ていた老人に 声をかけた。「ここは猪が出るでしょう?」「出ますよ」ほかの人とは少し違った丁寧な返事だった。「ソーラー付き電気柵を買いませんか?」「ホー、ソーラーねえ、面白いことを考えましたね?」老人は答えた。「私は大学でソーラーを教えているのですが、電気柵には気がつかなかった」「えっ、教えてられるのですか? それでは私よりプロだ。ではソーラー電気柵を一台プレゼントしますから、ソーラー発電施設を作ることに協力してください」「私は元々この隣の空いている畑にパネルを置いて発電しようと思っていたのです」話は直ぐにまとまった。Trinaの一号だった。新聞社が来た。テレビの取材が来た。雑誌の紙面を飾った。電話がなった。第二号の注文だ。そして注文は疋も切らずになった。そして何年かたった忙しい日々のある日.,すでに世界で4番目のシェアーを持つまでになったTrinaの副社長が日本にやって来た。羽田空港に迎えに行った私に彼は言った。「シャープからトリナにパネル製造の依頼がきました。相談にのってください」「わけの判らないパネルは買わない、やっぱり吉永小百合のシャープじゃなけりゃ」とまで言われたトリナにシャープからオファーが入ったのた。

知らぬは日本人ばかりでトリナはトリナのブランドで世界のトップクラスに躍り出ていたのだ。そんな相談ごとを私が否定的答えを出すはずはない。そして今やシャープはトリナなのである。吉永小百合まではトリナではないが、トリナは日本の先輩まで飲み込んでしまったのだ。 ね、書を捨てて町(この場合は田園だけど)にでなければダメでしょう? 教壇でしゃべっていてもだめだよね